鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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⑪ ナチスドイツと日本美術1939年の「伯林日本古美術展」の展覧会評を通して「1930年代に開催された日本美術の2つの重要な美術展覧会について」と題する論考研究者:跡見学園女子大学,高崎芸術短期大学,立教大学はじめに近代ドイツにおける日本美術の受容は,これまであまり注目されておらず,フランスなどに比べて日本美術をめぐる動向が活発でなかった印象がある。確かにドイツでは万国博覧会という規模の大きな舞台で日本美術が紹介される機会に恵まれなかったせいか,日本美術への関心は急激な盛り上がりを見せず,関心の度合いもそれほど高くなかったように感じられる(注1)。しかしドイツにおいても19世紀以来,個々の芸術家や蒐集家あるいは美術館によって日本の美術作品の蒐集が着実に進められる一方で,20世紀半ばころまで日本美術の展覧会が開催されている(注2)。中でも1939年の「伯林日本古美術展」は,それまでにヨーロッパで開かれた日本美術展の中でも最大級の展覧会であり,ドイツにおける19世紀以来の日本美術の受容のひとつの到達点と見なすことができる。しかしながらこの展覧会にはナチス支配下の政治的状況が影を落としており,その重要性にもかかわらず,その後の研究ではあえて等閑に付されている感がある。ようやく昨年ベルリンでドイツ日本文化センターより刊行された論文集『東京,ベルリン,19世紀〜20世紀における両都市の関係』に,桑原節子氏がにおいて短いながら展覧会の概略を示したが,これ以外にはほとんど研究の進展をみていない状況にあるといえる(注3)。昨年現地調査によって,関連雑誌(5誌)での記事5件のほか,現在ベルリン東洋美術館に所蔵される当時のドイツ発行の新聞(155紙)の展覧会評391件を確認することができた〔表1参照〕。そのため本稿は,それらの展覧会評と,日本側で確認した『朝日』,『東京日々』,『読売』,『都』各新聞記事30件と雑誌10件などをも考察対象に加えて〔表2参照〕,このナチスドイツ政権下に実施された「伯林日本古美術展」において,いかにナチスが政治的な意図からこの展覧会をメディア戦略にのせて紹介し,日本美術を評価したのかを検討する。それによって「伯林日本古美術展」の性格やその意義など,ドイツにおける日本美術受容の変遷を考える上で重要な知見が得られるものと思われる。非常勤講師安松みゆき-226-

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