鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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Berliner B街senZeitung 2月26日付の「日本のこれほど質の最も高い芸術的宝が初め個人的な関心も同様に大きく言及された(注22)。例えば,『読売』新聞3月1日付の記事には,「特に最初の佛像室では如意輪観音像と地蔵像とに目を留め御物の部では永く説明に耳を傾けた。更に御物「厩の圃」,雪渓の「紅葉の圏」探幽の「四季の松」及び永徳の「松鷹園」等の並ぶ特別室は非常に氣に入ったらしく御物「厩の園」の馬の描寓に酎しては「賓に見事だ」と感嘆の磐を放った…雪村の「風濤圃」では…傑作の作だと激賞…,また抱ーの「風雨草花の圏」に酎し色彩とその繊細な構法に興味を抱き…「綺麗だ」と賞めたて>ゐた」とある。また,兒島喜久雄の指摘では,さらにく伝平清盛像〉,宮本武蔵筆<鵜図〉,宗達筆〈扇面散図〉,光琳筆く鳥類写生帖〉,単山筆く目黒詣図〉も気に入ったようである(注23)。ドイツでは,会場でヒトラーがどのような作品をみたのかに触れられていなくても,この展覧会を宣伝する意味において,全く問題ではなかった。当時山田智三郎も指摘しているように,ヒトラーが臨席したというだけで,この展覧会を格付けし得たからである(注24)。というのは,ヒトラーは,この日本古美術展以前には「大ドイツ美術展」以外の美術展の開会式に列席をしたことがないと当時いわれていたからである(注25)。第二に,規模や質の点で空前の展覧会として報道されたことが挙げられる。例えばて欧州で展示される」とする記事(注26)や,NiedersachsischeTageszeitung l月13日付での「御物が海外にでるのははじめて」の記事(注27)がみられ,このベルリンの展覧会が,単に質が高かっただけではなく,欧州の中で,一番優れた展覧会とする報道が行われている。ただし,その内容についてはかなり誇張されていることに留意しなければならない。なぜなら欧州では,1900年のパリ万国博覧会と1910年の日英博覧会が行われており,それと,量と質の点で比較した場合,それらとはベルリンの展覧会が拮抗していると言えても,それを凌駕するとは言い得ないからである。事実,出陳された古美術は,数の上ではパリ博およそ189点,日英博およそ250点を数え,両博覧会がベルリンを上回っていた。しかし美術史家で,この展覧会の主催者であったベルリン国立博物館群総長のキュンメルは,両博覧会を例に挙げつつも,質や量の点で比較することはなく,両者の出陳作品の質の高さを認めていた。つまり,そのことから,研究者レベ2-2 規模的にも質的にも空前の展覧会として-230-

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