(3) 桑原節子「1930年代に開催された日本美術の2つの重要な展覧会について」『東1954年,103頁。矢代幸雄「オット・キュンメルードイツ博物館総長ー」『日本美(4) Mittelungen Gesellschaft fur Ostasiatische Kunst, 14 Jg. Nr. 5 -6, Nov. -Dez. 1938, Ost函atischeZeitschrift N. F. 14, S. 268.会期中の観客動員数は,1936年のベルリンのオリンピックを超える数であったとの指摘もある。丸尾彰三品展』展覧会図録,1992年。ヴィルバルト・ファイト「ベルリン東洋美術館コレクションの沿革」『秘蔵日本美術大観7'ベルリン東洋美術館』講談杜,1992年,9-11頁。(2) 注1を参照。京・ベルリン,19世紀〜20世紀における両都市の関係』シュプリンガー社,ベルリン,1988年所収,283-291頁。ベルリンの日本古美術展を主たるテーマに掲げた論考として注目されるものであるが,桑原氏は,1931年の日本画展にも言及しているため,ベルリンの日本古美術展については,1600字程でまとめられている。そのため本稿では,本文でも記したように,改めて展覧会カタログや新聞,雑誌の記事などから,展覧会を再構成し,概説した。この他に,ベルリンの古美術展を指摘したものとしては以下がある。吉澤忠『古美術と現代』東京大学出版会,術の恩人たち』文芸春秋新杜,1961年,121-148頁。佐藤道信「伯林日本画展覧会」『秘蔵日本美術大観,第7巻,ベルリン東洋美術館』講談杜,1992年所収,275頁。ヴィルバルト・ファイト「ベルリン東洋美術館・その歴史とコレクション」『ベルリン東洋美術館名品展』展覧会カタログ,1992年所収,14頁。西村勇晴「1930年代の日本とドイツ」『芸術の危機,ヒトラーと退廃芸術』展覧会カタログ,1995年,47頁。平井正『ドイツ旅の心得,日本人のドイツ,ドイツ人の日本』光人社,1996年,220頁。郎「美術愛の日3蜀交流ー伯林日本古美術展の思ひ出」『塔影』第16巻第8号,1939年,45頁。(5) 大久保利武「序」『伯林日本古美術展覧會記念圏録』伯林日本古美術展覧會委員會刊行1939年,XLI頁。(6) 外務大臣廣田弘毅,文部大臣安井英二の協力を国策の点から得ることができて,展覧会の委員会が設立された。大久保前掲論文,XLI■XLII頁。(7) グンデルトは,日独協会主事であり,日本ではドイツ語を熊本旧制高校で教えて-235 -
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