鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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太郎/神原文雄(安芸津,正福寺住職)/松浦功(風早駅助役)/伊藤勇(~画作曲家)/松浦功(風早駅助役)/佐瀬初太郎(三井造船労務課長)/島田直~(竹原注(2) 南蕉造は,イギリス留学から帰国後の1910■11年,さらに1913■17年に郷里に住(3) 「南蕉造先生と芸南文化同人会」(『安芸津風土記』No.13■No.16に連載)らこそ,留めておかなくてはならない事実ではなかろうか。(1) 広島県南西部沿岸地域のJR呉線沿線で,呉市から東に,川尻町,安浦町,安芸津町,竹原市までと,島嶼部各自治体をいう。(通称ではっきりした定義があるわけではない。)み制作している。また,しばしば帰省してスケッチや制作をしたり,母親の里である竹原の名士たちと交流をしていた事実が残っている。(4) 中野が挙げる設立メンバー:永瀬義郎(会長)/谷本剛平(竹原高女教諭,画家)/浜本武ー(忠海,画家)/佐瀬景堂(安芸津,三井造船,日本画家)※本名は初家)/朝井清(呉市,画家)/中村博・中村郁夫兄弟(呉市,印刷業)/神田周三(広島市,画家)/中野正英(安芸津,薬剤師)それとは別に中国新聞の設立記事(1946年2月6日朝刊安芸版2面)に挙げられるメンバー:永瀬義郎(元日大芸術科講師,新興美展審査貝,無鑑査)/朝井清(日本版画協会新興美展審査員)/谷本剛平(竹高女,新興美展)/日高脩(竹高女,町議)/中野正英(文展,薬剤師)/萩原拘二(文展)/名川力夫(西日本炭木出張所長)また,それぞれ浜本武ー氏の記憶とも細部では異なっており,正確な設立メンバーは不明。(5) 『芸南文化』創刊号16頁「同人ゴシップ」,同人の間で呼ばれていた。(6) 大阪時代永瀬の周辺で活動していた新興美術展に戦前から出品しているので,永瀬とは互いに顔見知りであったと思われる。(7) 朝井も,新興美術展に出品,審査員も経験している。同じ版画をやっている永瀬とは日本版画協会展以来の知り合いでもあった。(8) 「芸南文化運動も発祥の地は竹原町であり,南先生の友人も多く,芸南X化同人会に参加された知名有志の人々も多かったことと思う」(中野正英著前掲書-252-

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