鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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□南薫造,安浦町に生まれる。□永瀬義郎,茨城県に生まれる。□永瀬義郎,妻サトの郷里安芸津町に疎開。□南薫造,郷里に疎開。□第1回日展審査→発表(南が審査員として上京)0芸南文化同人会が南を訪問(永瀬,松浦,浜本,中野)。以後,頻繁に往来,(19) 呉在住の画家で,当時朝井とともに呉の美術界を代表する洋画家の一人であっ(20)水戸範雄:竹原在住の画家で,帝展・新制作協会に出品暦をもつ。当時故人。/訓『呉市史』第7巻563頁(22) このサロンには,GHQ関連の外国人もしばしば招かれていた。(23) 疎開の際,洋食器などレストランの機材ー式も一緒にもちかえっていたので,不『放浪貴族』(206頁以降)に詳しい。(24) 永瀬義郎前掲書(251頁あたり)(25) 浜本は,エリザベート女子短期大学で永瀬の実習助手をやっていた。(26) 広島県美術展の再開や日展の広島巡回展などの実現に尽力したと伝えられる。2■3月3月3■5日0「美術部」の第1回美術展(会場:竹原高等女学校講堂)た。坊一雄.・竹原出身の画家で,フランス留学後大阪で活躍,帝展,サロン・ドートンヌなどに出品。当時故人。/天野丈作:竹原出身の洋画家。現在日展審査員。便はなかったし,華やかなものだったようだ。この辺りの事情は,永瀬義郎著<「芸南文化同人会」関連年表〉1883年1890年1942年1944年1946年2月6日? 4月21日4月22日5月1日0芸南文化同人会結成記事が中国新聞に載る。この前後に結成。(注4)参照。会長:永瀬義郎,本部:竹原の衆遠亭,発起人代表:谷本剛平出展数42点。永瀬,朝井,谷本,浜本ほかが出品。やがて会の顧問に。0三口小学校での展覧会校長の吉野氏が南に相談,南が同人会に呼びかけ実現。南が数点,伊藤勇がかつての二科出品作を,太田忠も遠方からそれぞれ出品。0「生活指導部」文化講演会(会場:海田市公会堂)講師:永瀬「笑いをとりもどせ」/中野「生活の化学」/大江大部「日本の化学の世界的水準」。終了後に音楽と美術に関する座談会開催。0進駐軍と女学生慰安音楽会開催(会場:呉市パレスダンスホール)主催:大毎。同人会は共催。歌手木村穣外,オーストラリア軍サンソン軍曹のピアノ伴奏等。0東京音楽学校教授巌本真里提琴独奏会(会場:竹原高等女学校)参集した聴衆は1千余名。-254-

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