BI式獣・馬文〔図5ぶBII式羊・鹿文〔図6〕とBIII式蝠龍文の三式である。ないため,補助資料として考える。以上の青銅飾板の資料は,そのスタイルにより大きく六型に分けることができる。A型動物形飾板このグループの飾板は固定したスタイルではなく,動物の形によって変化する。AI式単体動物文〔図1ぶAII式動物闘争文〔図2入AIII式二体動物文〔図3〕とAN式動物交尾文(図4〕の四式である。A型は飾板が固定のスタイルではないので,比較的複雑な一種である。考古資料によって,春秋時代の早期までに,A型四式の飾板はすでに全部出現したことが分かる。オルドス青銅器文化における動物意匠では,単体動物文様が最初に形成されたと認識されている。殷商時代からよく知られている北方系青銅短剣と竿頭飾に,丸彫単体動物文様がついている。AI式の青銅飾板はその丸彫単体動物意匠から発展してきた装身具であると考えられる。小黒石溝墓と倒敬子墓の資料により,AI式は春秋早期から前漢晩期に至って用いられたことがわかる。AII式は北方系青銅文化の代表的動物意匠である。前漢初期からはP型青銅飾板が本格的に盛んになり,戦国時代に流行していたAII式の飾板はそれに融合されたのである。B型縦式長方形動物文飾板スタイルはE型とはとんど相違点がないが,文様が全部縦に組み合わされていることと飾板自体が小さいことのゆえ,E型と分けることにした。B型はスタイルがシンプルであり,いままでに,中国北方青銅器文化の地域以外では,発見されていない。B型は縦式長方形飾板であり,夏家店上層文化にBI式がすでに出現したのである。BIII式の飾板に飾られている蝠龍文は,春秋晩期から戦国初期までに流行していた文様であり,同時代の青銅短剣にも蝠龍文が飾られたのである。前漢初期からの遺跡と墳墓の中で,B型の飾板が出土していない。B型が消失した原因は分からない。C型方形動物文飾板スタイルは概ね方形であり,CI式羊文とCII式鹿文〔図7〕の二式にわける。後漢時期に現れ,その由来ははっきりしないが,鮮卑族との関わりがあると思われる。主に内モンゴル中南部で出土されている。D型P形飾板飾板の形により,刀柄形,又はP形と呼ばれている。D型の飾板はスタイルが殆ど-258-
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