鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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意匠と共に,オルドスとその周辺においての典型的動物意匠になっていった。が,問題はD型,E型とF型なのである。西周晩期からオルドスと内モンゴル東南部で形成された青銅飾板の動物意匠は,戦国晩期以後に,長城沿線の地域からだんだんと消失したのである。一方前漢初期になると,D型,E型,F型,特にE型の青銅飾板が突然に多く現れたのである。しかし,従来の研究は,戦国晩期のAII式がD型の元であると考え,B型がE型の元であると考え,青銅飾板の動物意匠の起源問題を単純化していたと思われる。青銅飾板の形だけを見れば,確かにAII式がD型と近似しているが,D型飾板の前部(P型の大きい部分,一般的に野獣の頭部を指す)はかなり変化し,元来の野獣の頭上に必ず装飾文様がついている。B型はE型とは,まったく関連がないと思われる。B型飾板は,縦式長方形であり,飾板自体が小さく,また,動物文様が全部縦に組み合わされているもので,戦国中期から出現しておらず,長城沿線の地域以外では,発見されていない。一方,E型飾板に関しては,いままでに,挟西省客省荘前漢初期墓で出上したEIII式の飾板が,もっとも早い時期であり,ほかの式ははとんど前漢中晩期に出現したものである。もっとも重要なのは,青銅飾板に飾られた動物文様である。前漢初期以来,オルドスとその周辺地帯に出現した青銅飾板の動物意匠は,伝統の写実的デザインから,装飾化,幻想化,異様化に向かっている。新たなモチーフ,たとえば怪獣文,捻体形動物文,鷹獣闘争文などは,明らかに外来文化の影響である。また,飾板によく見られる装飾文様,たとえば縄文,凹んでいる葉のような文様なども,オルドスとその周辺における青銅器文化の伝統的デザインではないと考えられる。D,E, F三型の青銅飾板は,長城沿線の地域以外に,南シベリアにも多量に分布している。考古資料がまだ不充分なので,それらの源郷は明確には特定できない。なお,オルドスとその周辺で出土した青銅飾板に関しては,当地で生産された可能性はあるが,図像と様式は外米文化の影響であろう。紀元一憔紀以後,中国北方草原地域で活躍していた匈奴族はすでに衰亡し,東北部の鮮卑と烏桓族がその代わりに興起したのである。発見された文化遺跡により,鮮卑族は匈奴文化を吸収し,青銅飾板を用いる風習がまだ残っていたことが分かる。また,鮮卑文化の中でも,新たなデザインの動物文様飾板が出現し,C型飾板はその新しいスタイルの一種であるとも考えられよう。-262-

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