研究者:大阪大学大学院文学研究科博士後期課程はじめに,1997年4月,ロンドンよりロンドンの大衆紙が,ある彫刻家をめぐる事件を報じたのは昨年の4月9日のことだった(注1)。「死の美しさを表現」すべく,かれは,祖母を含む多数の死体を医療機関から不正に入手し,頭部や手足を鋳型にして作品を制作。家宅捜索をうけた彫刻家の仕事場には,その手足が冷凍保存されていたという。逮捕容疑は死体遺棄だったが,大衆紙の関心は,死体愛好を連想させるその猟奇性と,「藝術作品」制作のために鋳型を使用する藝術家の「節度のなさ」への疑義とに集中していた。この事件は,彫刻のレアリスムを主題とする調査を開始していた報告者に二つの問題を突きつけた。ひとつはレアリスムとその即物的表現の「節度のなさ」というこの事件の論点に関することだが,近代美術史において,絵画ではクールベにおいて,この批評基準が表面化したとされ,そのレアリスムが特筆大書されるのに対し,彫刻のレアリスムはそれほど問題視されてこなかった。それはなぜか。そもそも彫刻のレアリスムが,近代美術史上,いかに扱われ(損なっ)たのか。これが第一の疑問であった。第二は,彫刻のレアリスムが「死」をめぐる問題として浮上した,という事実である。たしかに鋳型はデスマスクに端的に代表されるように死に関連する技術であり,それに抵触する彫刻のレアリスムは,問題化するとすれば,かならず死と関わりを持たざるを得ないのではないか。近代史上のレアリスムにおいてそれが顕在化した例はないか。この報告書は,ロンドンの鋳型事件が惹起した二つの漢たる疑問に,歴史的事実を突き合わせるべく生まれることとなった。「節度なき彫刻」と愛撫とロンドンの事件は,人体鋳型を彫刻に利用する行為と藝術倫理という論点におい《L'Histoireest une resurrection.》(ミシュレの墓碑より)-269--(現在リヨン第二大学留学中)藤原貞朗⑭ 節度なき彫刻(Sculptureof no scruples) ー1870年以降の彫刻のレアリスムをめぐるいくつかの考察ー一
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