鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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ない断片的な補足なのか。これについての詳細な検討は別稿の「訳と注解」に委ねるが,その要点は次の如くである。この章は1つのまとまった章であり,その主題は趣味論と見ることができる。その冒頭は,「だが,もしも趣味が気まぐれなものであり,美については永遠の,不変の規則など存在しないのであれば,これらすべての規則にいかなる意味があるのか」という一文であり,それに直ちに続けて;美の感動の強さを根拠とする反論を展開してゆく。ここで言う「これらすべての規則」とは,決してたすべての議論を指すものと考えなければならない。ここで提起されている趣味の相対性は,およそすべての藝術論的な「規則」(一般的理論)の有効性に関わり,それを脅かすものだからである。つまり,この章の主題は,絵画に関する理論そのものの可能性の根拠を固めることにある。このような議論は,勿論他の著者による絵画論のなかにはない。しかし,哲学者であるディドロにとっては極めて基本的な問いであり,繰り返しかれの関心を呼んだものと思われる。『絵画論』第7章の構想の直接の原型は,1762年9月2日付けのソフィー・ヴォラン宛ての手紙のなかで語られている「本能」という語に関する会話にあった,と考えられる。その会話に際してディドロが,趣味判断の恣意性を主張するひとに対して,即刻反論したことが,その手紙のなかにつづられている。また,更に遡るならば,1752年の『百科全書』の項目「美」のなかの議論の運びが興味深い。すなわち,始めに美の理論についての歴史的な考察を行ったあとで,ディドロは自らのテーゼである「美は関係の知覚である」を提示する。そして,そのあとで,人びとの「判断の多様性」の起源を12点にわたって挙げている。それは,これらの判断の多様性にも拘らず,「実在美」に関わる自らのテーゼが有効であることを補強する議論,と見ることができる。『絵画論』の構成も,同じパターンを示している。デッサン,色彩,明暗法,表情,コンポジションについて,ディドロは画家にとって規則となるべき事柄を語ってきた。しかし,1762年の会話が示すように,世の中には趣味の相対性を主張する意見が根強い。その意見に従えば,ディドロの理論の構想そのものが有効性を否定されることになる。そこで,ディドロは『絵画論』の末尾に,この主張に反駁を加えることを企てたわけである。事実,この章の議論はこの意図に沿って展開され,まず,美を真や善に(つまり実在性に)基礎付けた上で,趣味を定義し,更に感受性に論及しているのである。第6章における議論だけに限定されるものではなく,『絵画論』のなかで展開してき-18 -

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