鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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彫刻のレアリスムと墓碑まず,「彫刻における写真」と評されたこれらの彫像が,墓碑塑像であった事実は見過ごされてはならない。また労働者を主題とする1870年以降の彫刻のレアリストが,産業杜会の犠牲者としてその死に焦点を当てた点も重要である。ムニエの『ガス中毒』〔図4),ヴェラの『労働の犠牲者』は,いわば労働者という匿名の人物に捧げられた墓碑と形容すべきだろう(注5)。さらに重要なことに,死者の像,つまり生前の肖像ではなく,横臥像や,デスマスクを想起させるメダイヨンによって,墓碑を飾る行為は,1870年から1914年頃までの極めて限られた期間に集中的になされている。ペール・ラシェーズ墓地正面の『死者の記念碑』(バルトロメ,1899年)〔図5〕は,この潮流の頂点に位置する作品である。1870年の彫刻のレアリスムは,このように,墓碑彫像と密接な関係にある。さて,墓碑彫刻を,その特殊な機能を理由に,いわゆる藝術作品と区別すべきではない。なぜならとりわけ19世紀後半期には,それがサロン展に出展され,さらには同時代藝術として高く評価されていたからである。たとえばバルトロメの『死者の記念碑』は1895年の国民美術協会のサロン展に出展され,「彫刻の危機の時代にあって,新たな可能性を開示する」作品とされた(注6)。こうした批評の起源にして決定版が,1868年のプレオー『ミキエヴィクス』〔図6〕へのルドンの批評であろう。日<,「ここではじめて真に人間的で,創造的な作品と出会う。この作品を前にいかなる分析も無用。この美を侮辱する不毛な分析を行うことなどできまい。その偉大さは,ゎれらの理想であり,今日の思索に大いに役立つ。この真実への努力が,新たな寺院を建設しうるよう祈ろうではないか」(注7)。この評は今日の美術史が忘却したもののひとつである。真実や現実を云々するこの批評は,すでに1850年代に顕在化した絵画のレアリスムの批評基準と同一視され,プレオーの作品もろとも「時代遅れ」とされたからだ。しかし,ルドン自身が,クールべやマネのレアリスムを消極的にしか評価しなかった事実を鑑みるなら,ここに絵画のレアリスムとは異なる批評基準を想定すべきだろう。絵画のレアリスムが,自然主義的文脈のもと印象派を予告するのだとすれば,ここで見出された彫刻のレアリスムは,ルドンらいわゆる象徴派の前兆となるべきものである。この報告書で象徴派の意義を云々する余裕はないが,デスマスクや,斬首の主題を取り上げ,見る者を死と対面させ,ある種の宗教的感情を促すという象徴派の手法は,件の墓碑彫刻の効果を継-272-

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