鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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承ないし共有している。その意味で,1870年に彫刻のレアリスムの画期を見る視点は歴史的にきわめて璽要なものである。死の哀悼とレアリスム「死の美しさ」を求めたロンドンの彫刻家が教えるように,死者の像は,その主題を超えて,見る者をフェティッシュな哀悼と抱擁へ誘い,レアリスムの本質をむき出しにする。クレザンジェのフェティシスムは,「独創的」と評されたが,しかしそれは猥雑な主題のもとでのことであった。この表現レベルでの独創性が「死」という主題と出会うことで,ひとつの画期を見出す,それが1870年のレアリスムではなかったか。ルドンは,プレオーの作品を「言語化不能」と判断しつつも絶賛するのだが,そこに,ボードレールがいう「彫刻の退屈」を払拭するフェティッシュな彫刻の力強さへの賛美を認めることも許されよう。『死者の記念碑』を制作したバルトロメは,この彫刻の根源的な魅力をたしかに認識していた。オルセー美術館の資料室に保存される一枚の写真がそれを如実に物語る。亡き妻の墓碑像を制作(1888年)〔図7〕した彫刻家は,ピグマリオンよろしく,彫像が生身の妻その人であるかのように,その手に触れ,抱きしめる〔図8〕。今日,美術館で禁じられている行為が,ここでは彫像のカの証拠として,作家自身に演じられる。死者を鋳型で抜いたようなその像は,言葉や理屈をこえて,見る(触れる)者を,苦痛と哀悼へ誘い,言葉なき抱擁へとみちびいている。ついでながら,死者への身体的接触の機会は,彫刻家の仕事に避け難く入り込んでいた。デュマ・フィスの墓碑制作者,ルネ・サン=マルソーは,先立って,そのデスマスクの制作を依頼されていた〔図9,10〕。ダルー(ユゴーのデスマスク制作,オルセー美術館蔵)らレアリストが,デスマスク作成の適任者とされた論理的転倒を示す挿話として興味深い。デスマスク制作にともなうかれらの苦痛が,そのままレアリスム彫刻の「言語化不能」の力となり本質ともなったのだろう,といえば,あまりにも皮肉だろうか。死の彫刻と彫刻(家)の死デスマスクを想起させるフェティッシュな像は,しかし,19世紀半ばにおいても,-273-

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