③ 肥前高城寺諸仏の研究研究者:佐賀県立博物館学芸員竹下正博はじめに九州の中世彫刻史は蒙古襲米を契機としていちじるしく活性化する。畿内あるいは関東から新たな寺院,僧侶,外護者そして仏師や仏像が流入したためである。本稿ではその一例として肥前高城寺を取り上げて考察する。高城寺は一三世紀後期に,在地領主国分忠俊らの寄進を受け,北条氏を開基として創建された禅寺である。開山の蔵山順空(円鑑禅師)は円爾弁円(聖一国師)の法嗣で,東福寺第六世となっている。高城寺には数躯の中世彫刻が伝存している。正安二年(1300)に制作されたことがあきらかな蔵山順空像(重文)と一四世紀の制作と思われる四躯の諸仏である。蔵山順空像についてはすでに詳細な考察がくわえられている(注1)。本稿では,これまであまり取り上げられることのなかった諸仏について,構造・技法,表現の特色から院派仏師の作品であることをあきらかにし,つぎに高城寺文書を読むことで制作の事情について考え,おわりに九州における中世院派仏師作品のひろがりを見渡し,高城寺諸仏のもつ意義を探ることとする。ー構造と技法像高106.3センチ檜材。寄木造り。割首。頭頂肉髭部上四段は別材を矧ぎつける。頭・体根幹部は前後二材から彫りだして内剖りをほどこし,頭・体は矧目が方形になるように割り矧ぐ。体幹部材には,像心束,前後束が切断された痕跡が認められる。両体側部は縦ー材,膝前は横一材から彫りだし,内剖りをほどこす。前膊なかば先,裳先別材。右手首先樟材後補。左手首先欠失。螺髪は髪際線でニニ粒,地髪部四段,肉髯部五段を数える。体内や像底に近世修理時の墨書銘が記される。像高71. 5センチ檜材。寄木造り。差首。頭部は右耳半ばから左耳前にかけての線で前後に二材を矧1 釈迦如来像〔図1〕2 地蔵菩薩像〔図2〕-19 -
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