10)。「Museo」とそれに付随する庭およびいくつかの小屋をふくむジョーヴィオの3, 4〕をもとに建物の概要を述べるにとどめたい(注12)。立美術館所蔵の《コモのジョーヴィオの「Museo」景観図》〔図1〕と,1619年の年記かある同美術館のいま一つの《景観図》〔図2〕をまず挙げなければならない(注所有地の湖の側からの眺め全体を描いたこれら2点の景観図は,いずれも「Museo」の建物の形や位置関係についての具体的なイメージを伝えているが,後者には建物のみならず,ドーニによって言及された館内にあった多くの銘文と,バロック的枠組の中に描かれた34点の「標章図」が含まれており,きわめて高い資料価値を有するものである。他方,『著名人の讃歌』の冒頭部分に掲載された「ジョーヴィオの『Museo』についての記述」と題する一文では,ジョーヴィオ自身によって建物の各部屋の配列の仕方や名称,用途が詳細に述べられている。16世紀後半の《景観図》とこの文章を比較参照することによって,ラーフェは地上階の復元平面図を作成した(注11)。ジャノンチェッリはこれに二階の復元平面図を加えており,ここでは後者の作図〔図現在でもコモの湖畔に建つ多くの別荘やホテルがそうであるように,この建物には船着場が付いていて湖側と山側の両方からのアプローチが可能であった。山側から入る場合,一階には西の入口を入ってすぐにあるアトリウム(B)を通って,ほぼ方形の中庭(F)に出る。中庭に面した西側と北側にそれぞれ「ポルティコ・ペルソナート」(C),「ポルティコ・デル・パルナーソ」(G)が設置されている。北側には一列に「武器室」(L),「シレーネの間」(M),「メルクリオの間」(N),「ミネルヴァの間」(0)その他の小部屋が並び,それらの部屋の一番奥にあたる北東角に最も大規模な展示室である「Museo」の大広間(D)が設けられた。湖側から入る場合は,建物の東側に連なる「ポルティコ・デッレ・グラーツィエ」(E)(《景観図》で正面が画面と平行に描かれている部分)の東南角の小さな開口部から入る。来訪者はそのポルティコを通れば,半ば湖に迫り出すように作られ,《景観図》の中でも最も手前に描かれている「Museo」の大広間(D)に最短距離で到達することができた。居住部分を通らないでも客人を「Museo」へ案内することのできるこのような間取りは,ヴァティカン宮殿における,ブラマンテ設計の螺旋階段を通っての「ベルヴェデーレの彫刻庭園」へのアプローチを連想させる。二階には,「美徳の間」(P),「名誉の間」(S),「スフォルツァの間」(T),「タピスリーの間」(U)の名称をもつ部屋その他が「く」の字形に連なっており,湖に面した部分お-293-
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