作である。さらに幕末から明治という時代の絵画研究は,近年になってようやく着手されつつあり,辻惟雄氏の編著による『幕末・明治の画家たち』(注8)が刊行された事実は重要視すべきことである。しかし先学の積極的な研究を以てしてもなお,近世と近代の狭間に置かれた幕末・明治絵画の位置は定まったとは言えない。一体,近世,近代という時代区分呼称は何を意味するのだろう。これらが共に「今に近い世,時代」(『広辞苑』)を意味する語であることは一般に広く理解されている。西洋史における近世は一般にはルネサンス以降を指すが,日本では主として江戸時代とされる。そして日本における近代は,そのはじめを嘉永六年(1853)のペリー来航に置き,昭和二十年(1945)の敗戦までの期間を指すという説が有力であるという(注9)。しかしそれはあくまでも区分の根拠を政治史的,社会史的事象におくものであって,美術史という分野では,もっと緩やかに適用していってもよいのではないだろうか。山梨俊夫氏は,歴史主題の絵画(歴史画)について以下のように述べている(注10)。歴史主題を扱った絵画は,近代的な国家が編成されていく時に現れる,国家意識,歴史意識のありようを反映する。これを言い換えるならば,近代的な国家とは,国家意識,歴史意識が現れる時に成立するという事にならないか。つまり,歴史意識の現れ始める時期を以て,近代の幕開けと捉えることが可能なのではないだろうか。その観点からは,『寛政重修諸家譜』(注11)や『集古十種』(注12)の編纂が行われた寛政期頃一十八世紀後半から十八世紀末ーを,近代の端緒と考える事が出来る。ではこの時期における政治的社会的そして文化的状況は,どのようなものだったのだろうか。十八世紀中葉までの日本においては,鎖国という原則の中で針穴のように小さな穴から入ってくる外来文化は憧れに似た感興をもよおさせた。そしてその中心は言うまでもなく中国文化であった。しかし十八世紀も後半になってくると,安永七年(1778)のロシアからの通商要求を発端に,西欧諸国による外圧を感じざるを得ない状況となっていく。外圧が次第に頻繁になっていくにしたがい,その危機感は自国のアイデンティティの確認作用をもたらし,国家意識,歴史意識を芽生えさせた。そしてこれは学芸分野における普遍的な復古思潮となって現れることになる。-302 -
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