鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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狭守家に所蔵されていた原本からのものであると言う。敷き写しや全面摸写が叶わなかったためであると中村氏は述べているが,同氏の示す摸写では,例えば「伴大納言絵束帯之部」,「伴衣冠之部」などと項目をたてて写している。また弓を持つ人物のみを写したものなどもあり,為恭が原本から項目(モティーフ)毎に抽出した図像集の趣を呈している。この摸写からは,先に述べた画像データベースの集積と故実研究,という為恭の絵巻研究姿勢が如実に窺われる。・「類衆雑要抄」故実の研究という点で考えれば,為恭にはこの「類衆雑要抄」という有職故実書を基に制作された絵巻の摸本も現存する(注50)。「類衆雑要抄」とは,平安後期頃に編纂された宮中や摂関家で行われた儀式の宴席の配置や調度,装束についての記録で,これには詳細な指図がついていたという。また江戸初期においては,後水尾天皇の周辺で,この指図を更に具体的に彩色したものとして作りなおした絵巻六巻が制作されているが,残念ながらこの原本は現存せず,現在は八種類はどの写しが知られている(注51)。ここには例えば寝殿の室礼や几帳や御簾,屏風など,平安貴族の生活を彩ったありとあらゆる様々な事物が収められており,まさに為恭にとってはおあつらえむきの有職故実の教科書であったと言える。このような絵巻の摸本群の存在は為恭の忠実な古画学習を伝えるが,一方,為恭の摸本が原典に忠実である事のみをとらえ,ともすれば「摸写のための摸写」(注52)といった否定的な論調で語られる事も多い。しかし昨年,調査の途上で新出の為恭自筆による絵本を発見した。これは和綴じの冊子体によるもので,とりたててタイトル等は付されていない。為恭自筆の書付「秘蔵の絵本なり十五枚なり」があり,自らが学んだ古絵巻からあつめた図像を書き留めておいたものである。「権記所見」,「伴大納言絵巻所見」といった覚書がやはり為恭の筆によってなされている。ここでは例えば「伴大納言絵巻」上巻の著名な場面,子供の喧嘩を写したものが収められているが,原典の絵巻に見られる闊達な動き,生き生きした表情をきびきびとした早い筆でしっかりと描き取っている。またこの絵本に写し留められているのは,建物や調度の類よりもむしろ,絵巻に登場する人物の動態表現一例えば走る人物,寝ころぶ人物などの動きや表情ーである。この絵本の存在からは,「摸写のための摸写」というよりも自らの画嚢を肥やして新たな造形を目指そうとする,画家の積極的な学習姿勢を感じとることが出来る。-310 -

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