今回はごく少数の作例のみを挙げるにとどまったが,今後の詳細な比較~討の結果,より多くの絵巻学習例を挙げる事が可能であると思われる。しかし今回の検討の結果だけでも,為恭の作画が,摸写した絵巻の図柄を単に借用して合成するというものではなく,咀哨の上で使用していると言えるのではないだろうか。絵巻という古典やまと絵を学んで作画したとされる為恭だが,実はその作例のほとんどは縦長画面による掛軸であり,絵巻の横長の画面とは違う。しかし現在までの為恭研究では画面構成に関する解答は提出されていない。この点について考える時,為恭が自らの様式「復古」大和絵を形成する上で学んだ「古典」,為恭の学んだ「やまと絵」は,平安後期から鎌倉にかけての「やまと絵」だけだったのだろうかという疑問が浮かぶ。その結果,為恭の画面構成は近世における大和絵や江戸後期の狩野派を学んだものによるのではないか,という一つの感触を得た。為恭の画風形成についての記述では,「家風の狩野派にあきたらず」であるとか,あるいは「近世の堕落したやまと絵ではなく原初のやまと絵に返ろうとした」というのが一般的である(注54)。しかし画面構成においては,為恭のそれは,近世の大和絵や狩野派とも通じている事が作例より確認できる。為恭の作品に見られる画面構成は主に,縦長の画面にいくつかの場面(モティーフ)を霞などで仕切ってかさねていくという手法を取り,その多くは画面上部に遠山などを小さく描く。「雪月花図」双幅(出光美術館蔵)や,先にも挙げた「枕草子図」(千葉市美術館蔵)がその代表的な構図法をとる作例である。これを例えば近世大和絵の作例である「月次図屏風」(注55)の一扇(一月)と比較してみると,画面構成の明かな類似が認められるのである。霞で画面を仕切り,画面上部に遠景を描くという画面構成を取る。更に見ていくと,この画面構成は江戸後期の木挽町狩野家の画家によっても採用されているものであることが確認できる。例えば狩野伊川栄信「平家物語図」双幅を見ると,人物や松といった個々のモティーフは狩野派の描法に近いが,青い霞で画面を横に区切ってモティーフを積み重ねていくという構成は,先に挙げた近世の大和絵屏風とも,そして為恭の画面構成とも近似するのである。ちなみに狩野伊川栄信は,為恭との近しい関係を伝えられる狩野晴川院養信の父にあたり,画風刷新を目指して漢(3) 為恭の「大和絵」一画面構成から-312-
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