鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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画からやまと絵へと傾斜していった画家と伝えられている(注56)。先に,為恭のやまと絵への傾倒に出自による影響を一因として挙げたが,伊川の作品との画面構成の類似を確認した結果,これは伝記的なものだけではなく,作風においても挙げられる事が判明することとなる。結語一冷泉為恭と復古大和絵の位置づけここまでの検討の結果,冷泉為恭という画家と復古大和絵について,新たに,古いやまと絵に多くを学びながらも,新しい時代の風を受け,復古の様相を見せる時代に即応した創造性を示した画家であり,画派であると位置づける事が出来ると思われる。特に為恭個人について述べるならば,為恭の「復古」は,単なる回顧趣味でもなければ,時代と切り離された趣味的懐旧でもない,立ち返る事によってあらたなものを生み出していくという営みとしてあったのだと思われる。為恭の画業の中で注目されるべき点は,本稿では詳述しなかったが,宮中の年中行事を主題とする作品が多い事にもある。幕末の尊王攘夷の世相の中で多く描かれた為恭による年中行事主題の作品は,朝儀復興を目指すメッセージであるとも捉えられ,その制作意図には,「はじめに」の項でも述べたように当該時期に共通する歴史意識,復古意識が根ざしていたと思われる。西山松之助氏は以下のように述べている。(略)日本では,新しい時代を創り出したり,新しい文化を創作するために,強烈な文化的精神の高揚が燃え上がると,熱烈に遠い過去の伝統を呼び覚まし,その伝統に源流を発した新運動が展開していくというパターンがある。これはしばしば復古という言葉で呼ばれてきたが,実は古にかえるのでなく,新しい発足をするための伝統の再体験,原初の撥烈たる精神の新展開を目指したものである(注57)。当該時期の歴史意識,復古意識は,西山氏の言われるような時代背景によるものであると言え,新たな時代,新たな文化を創造するための,過去の伝統の呼び覚ましであるとまとめられる。為恭における復古もまた,これまで言われてきたような単なる回顧主義でもなく,王朝文化への偏愛でもなく,時代の風を受けて新たな創造を行う為の手段あるいはあらたな秩序を作り出すための志向,運動と言えるのではないだろうか。-313-

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