鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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(19) (注18)に同じ。之「『石山寺縁起』七巻の歴程」(『日本絵巻大成』第一八巻所収中央公論社昭和五十三年)を参考。(15)松原茂「狩野晴川院と絵巻」『MUSEUM』344号昭和五十四年十一月(16) 西本周子「抱ーの光琳顕彰」(山根有三編『琳派絵画全集』抱ー派所収日本経済新聞社昭和五十三年)(17) 藤岡作太郎『近世絵画史』明治三十六年(昭和五十八年復刻ぺりかん社)より「第四期諸派角遂第六章古土佐復興と歴史画」pp.212■223(18) (注17)参照。同文献より引用。(20) 吉川霊華「岡田為恭の追弔展観に就きて」『中央美術』八巻七号大正十一年七月霊華は為恭作品の極書や箱書なども行なっている。またやはり近代やまと絵の画家安田靱彦も為恭に関心を寄せ,極書や箱書などを記している。切)逸木盛照『冷泉為恭』中外出版大正十四年同『冷泉為恭の生涯』便利堂昭和三十一年似)恩賜京都博物館編『田米知佳画集』便利堂昭和四年七月同館主催の展覧会図録制作の後,画集として改めて制作されたものかと考える。伽)日本美術協会編『復古大和絵集』巧藝社昭和六年六月相見香雨氏による解説(「復古大和絵小傭」)が巻末に掲載される。題字は子爵金子堅太郎(1853■1942)によるもので,「発揚国風」の墨書が見られるのは当時の世相を反映させており興味深い。(24) 近年,小林忠氏は「狩野晴川院の大和絵復興」(『大和文華』83号平成二年三月)において,復古大和絵というやまと絵復興運動に政治的,思想的な意味付けをしてきた事の弊害を下記の通り指摘した。(略)そのような(一葱の安政大獄への連座,為恭の勤皇系浪士による暗殺といった事柄:引用者注)美術の外の事件により彼らの大和絵復古の運動が実態以上に強調されてきた傾向があり,それとは逆に,江戸における大和絵復興の機運が,無視ないし軽視されてきたように思えてならない(略)(25) 中村渓男「冷泉為恭の画事」『MUSEUM』327号昭和五十三年六月中村渓男「為恭の生涯と絵画」(『冷泉為恭』東京国立博物館研究図録所収昭和五十四年)-315 -

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