鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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中村渓男『冷泉為恭と復古大和絵』『日本の美術』261号至文堂昭和六十三年伽)福田徳樹「菊池容斎の位置」『MUSEUM』429号昭和六十一年十二月(27)塩谷純「菊池容斎と歴史画」『国華』1183号平成六年六月(28) (注21)参照。闘中村渓男『冷泉為恭と復古大和絵』(注25)巻末に収載(30) 金比羅宮に所蔵される絵巻の摸本類については本年九月に調査を予定しており未見。しかし「春日権現験記絵巻」と「法然上人絵伝」の摸本の所蔵は明らかである。この項,小林忠教授ならびに武田依子氏の御教示による。(31) 中村渓男「為恭の生涯と絵画」(注25)ただし三条実萬の推挙によるものかどうかについての文献資料は提出されていない。また為恭の描いた障壁画の画題とそれに付された和歌については,『安政二年新造紫痕殿・清涼殿以下至准后御殿御間御絵様並画工附』と題する資料が現存している。(32) 正木篤三「岡田為恭と大樹寺の襖絵」『美術研究』17号昭和八年五月杉浦令石「冷泉為恭筆大樹寺襖絵考」『美之国』十四巻十二号昭和十三年十二月水尾博・辻惟雄「冷泉為恭筆大樹寺障壁画について」『国華』844号昭和三十七年七月ほかに『岡崎市史十七巻美術工芸編』(新編岡崎市史編さん委員会昭和五十九年)に大樹寺の絵画についての解説がなされている。(33) 「忠成公幽居日記」は,三條実萬が幕府の嫌疑をうけて安政五年十二月山城国に幽居したときの日記である。安政六年四月二十二日の条に,京都町奉行与力加納繁三郎が為恭を通じて依頼していた為恭の筆になる王陽明像に賛を記したとの記述がある。日本史蹟協会編『三條家文書』大正五年九月(昭和四十七年七月復刻)東京大学出版会(34) 草薙金四郎「萬延元年の岡田為恭一讃岐に来遊した顛末」『歴史地理』第七十八巻三号昭和十七年三月(35) 近年江戸期の狩野派を取り上げた展覧会が積極的に開催されるようになった。端緒とも言える「江戸狩野派の変貌展」(板橋区立美術館平成二年),「江戸狩野派藤岡通夫『京都御所』中央公論美術出版昭和六十二年-316-

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