鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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⑱ 景徳鎮窯における青花の創製と明時代前期の官窯の展開研究者:帥たましん地域文化財団,たましん歴史・美術館副館長1.はじめに中国南部,江西省の景徳鎮窯に宮廷で用いる器物を専門に焼造する「官窯」が設置されたのは明時代の初期と考えられている。この官窯の設置によって,景徳鎮にそれまでの中国陶磁史を形成してきた技術が集約され,さらに技術開発が進む。そして官窯と,一般の需要を担った民窯という景徳鎮の生産構造が確立し,両窯は互いに交流し合い,その中で他の追従を許さないほどの優れた陶磁器を生産することによって,景徳鎮は他の窯場を圧倒して,中国随一の窯場となった。景徳鎮の官窯は「御器廠」と呼ばれた。そして明時代の宣徳年間からは,官窯で焼造された器物には「大明宣徳年製」ないしは「宣徳年製」といった六字,あるいは四字の官窯銘が記されることとなった。この官窯銘によって各作品の生産時期が区分でき,さらにその官窯作品が当時の最も優れた技術を駆使して作られた,質的にも優秀な作品であることから,明清時代の中国陶磁史においては,官窯作品を中心として語られることとなる。従来,各地に伝来した官窯作品によって,明清時代の中国陶磁史が論じられてきたが,近年,景徳鎮陶禿考古研究所によって,景徳鎮市内の窯址の調査,発掘が行われ,新たな知見がえられている。とくに官窯が設置されていた珠山の発掘が進められたことで,明時代の官窯についての認識が広がり,さらに研究が深化しようとしている。ここでは,この度鹿島美術財団の助成金によって踏査した景徳鎮で得られた知見をもとに,明時代前期における景徳鎮官窯の創設と展開について考究してみたい。それはすなわち,この時期の官窯の展開を理解することによって,明時代を通じての陶磁史の展開を理解しうることになるからである。そして明時代前期における官窯の主力生産品種が「青花」であった。したがってこの時期の官窯の展開を考えるうえで,コバルト顔料を用いた青花技法の展開が重要な要素となる。ここではその点に着目し,「青花技法の創製,発展と明時代前期における官窯の動向」という視点から,この問題を論じてみることにする。-320 -中澤富士雄

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