鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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9世紀頃の作品と推定される,揚州唐城から出土した破片資料がその根拠となってい2.青花技法前史900度程で熔ける低火度鉛釉は,中国では戦国時代に始まる手法で,この分野では形作った白磁の素地に,直接コバルト顔料を用いて文様を描き,透明釉をかけて焼成した作品を青花という。釉薬の下に文様があらわされることから,鉄顔料を用いた鉄絵や銅顔料を用いた釉裏紅と同じ「釉下彩」技法の一つである。しかし同じ釉下彩でも,高温化で不安定な性質のために焼成の難しい釉裏紅や,鉄絵の黒褐色の発色に比べ,焼成が容易で,白地に青い文様があらわされる青花の清々しい印象から,より広く愛好され,陶磁器の基本技法となり今日にいたっている。この青花技法については,ロンドンのディヴィッド財団所蔵の「至正11年」(1351)の銘が記された作品を基準として分類,整理が行われ,ほぼ元時代の中頃の,14世紀中葉に創始された技法と考えられてきた。さらに化学分析によって元時代の青花には,イスラム産の,砒素を含むコバルト顔料が用いられていることがわかり,イスラム圏の影響下に技法が創始されたと考えられている。実際に元青花の多くがイスラム圏の,トルコ・トプカプ宮殿やイラン・アルデビル寺院に収蔵されていることが,その推測の裏付けともなっている。しかし近年,中国の学者の間では,青花技法の起源を大幅に潮らせる説がだされている。その見解の中で最も新しい説が,唐時代に起源が求められるとする説である。る(注1)。中国でいつ頃からコバルトが使用されるにいたったかは定かではないが,中国陶磁の世界でコバルト顔料が用いられた確かな例は,唐時代の三彩,いわゆる唐三彩の釉色の一つとして用いられた藍釉である。このコバルト顔料が陶磁器の世界に導入された経緯は定かではないが,唐三彩が盛んに焼造された盛唐期は,シルクロードを通じた交流が盛んなときで,中近東の文化,文物が多く中国に流入している。その様な時期にコバルト顔料が使用されるにいたったことは,同じように中近東と交渉のあった元時代に青花磁器が完成された状況に似て興味深い。やはり中近東からのなんらかの影響があったのであろうか。早くから2種類程の釉薬をかけ分けることが行われてきた。鉛を主成分とする釉薬に,鉄顔料を加えた褐色釉と,銅顔料を加えた緑色釉の2色の釉に始まり,やがて透明釉と,コバルト顔料を加えた藍釉が加わり,7世紀の末頃にその歴史の集成のごと-321-

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