に,この説話の趣旨を現わした‘以心伝心',‘不立文字’という格言は濫用ぶりも見せるくらいだった(注3)。画面の中には金色の婆羅華を拮じ微笑んでいる釈迦と,それを見つめている迦葉を始め十人の弟子,そして大梵天玉が描かれており,春草は以前に絵画化した例のない説話「枯華微笑」を題材に本作品を制作するに当たって幾つかの伝統仏画の例を参考にした。そのため,画面の中の人物の姿に本作品と伝統絵画作品との具体的な関わりが一番よく現れているといえる。まず,釈迦を中心に迦葉の反対側にいる若い青年の姿の弟子は,色々な経典に出てくる阿難を思わせる。『大方便佛報恩経』,『摩登女経』,『大智度論』などの経典,記録によると,生まれて容姿端正,顔は浄満月の如く,眼は青連華の如く,其の身は光浄にして明鏡の如く鳴りしを以って,出家以後も婦女の誘惑に遭遇すること多かった,という阿難は禅林寺「十大弟子」,高山寺「釈迦阿難像」,佐賀高伝寺「釈迦三尊図」,五百羅漢寺「釈迦三尊像」,妙心寺「釈迦三尊像」等で見るように若い青年の姿で表現されるのが一般的である(注4)。また五百羅漢寺と妙心寺の「釈迦三淳像」が迦葉と阿難を脇侍にしていることや,佐賀高伝寺所蔵の探幽筆「釈迦三尊図」が迦葉と阿難を脇侍にしている例を考えると,恐らく春草はこの人物配置を通して,禅宗で言われている正法の受け継ぎの順番,つまり釈迦から迦葉へ,また迦葉から阿難ヘという伝授関係をジグザグの人物配置によって現わそうとしたのではないかと思われる。また,若い青年の顔と立って合掌しているその姿は,禅林寺の「+大弟子」〔図2〕の阿難の姿と通じており,他にも迦葉や柄香炉を持っている弟子の前で両手を組み合わせている弟子の姿で,それを確認することができる。つまり,迦葉の脳天の突き出した頭の形,額や顔の跛の線は優波離の姿で類似した表現を見せており,その優波離の指を組み合わせている両手や腕の形は爪の形こそ違っているものの,柄香炉を持っている弟子の前に立っている弟子の両手や腕の表現と類似している。禅林寺「十大弟子」は,人物の顔や花瓶などの持物が,いわゆる李龍眠様羅漢図のパターンを見せていながらも,一人一人の羅漢が個々の画面に描かれている一般的な李龍眠様羅漢図とは違って五人ずつ群像をなしており,その図像は独特な面がある。当時禅林寺「+大弟子」は釈迦如来図と言われてきた独尊如来図と共に「釈迦十大弟子図」として伝来した事実を考えると,釈迦と十大弟子が登場している本作品とは図柄上かなり類似していることが分かる(注5)。-341-
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