注(2) 尾崎紅葉,「枯華微笑」,『国民之友』69,1890. 1,附録参照(4) 世界聖典刊行協会,『望月佛教大辞典』,1974,p.43 (5) 『列品録』,帝国博物館,1895年8月及び『東京国立博物館収蔵品目録(絵画・書(6) 『列品録』,帝国博物館,1895年8月参照348,東京国立博物館,1980.3, pp. 25-27参照(8) 『東京国立博物館百年史』,東京国立博物館,1973,p.250, p.255及びpp.276-277参照(9) 『列品録』,帝国博物館,1896年6月及び『東京国立博物館収蔵品目録(絵画・書(7) 村形明子,「フェノロサの宝物調査と帝国博物館の構想(下)」,『MUSEUM』はいない。一方画題においても伝統宗教の説話を取り上げており,当時禅宗側からのキリスト教批判を背景に,例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を意識した可能性も排除できない。いずれにしても本作品を通して見る伝統は造形・内容両面において新しい芸術創作の土台になっており,それは時代状況の中で日本人,東洋人としてのアイデンティティーをもとに西洋への対応を意識した結果であることは言うまでもないことである。その意味で「拮華微笑」における伝統は西洋対応の資産となっているといえる。(1) 勅使河原純,『菱田春草とその時代』,六芸書房,1982,pp. 77-104参照(3) ‘不立文字',‘教外別伝’の格言の邪解や曲繹,誤解を指摘した文としては釈宗演「『禅宗』の発行に就きて」,『禅宗』1,1894. 11, p. 8及び高田道見,「文字禅」,『禅宗』1,1894. 11, PP. 10-11参照蹟・彫刻・建笑)』,東京国立博物館,1972年,p.280,そして京都永観堂禅林寺の名宝展図録刊行委員会編,「京都永観堂禅林寺の名宝」展図録,1996,p.176 図版解説参照蹟・彫刻・建築)』,東京国立博物館,1972年,p.442,『東洋画模本II』,東京芸術大学資料館,1996,p.96参照(10) 同日には仇英の「琴棋書画図」,雪村の「楊柳観音」の模本も購入されており,初期の東京美術学校は教材用として昔の粉本も購入していたようである。また島田友春は春草の東京美術学校1年先輩で,今の東京芸術大学の図書館と資料館に-347 -
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