校訂した12本のうち8本がカタカナであることから,カタカナを採用した。したがって送り仮名がひらがなである4本においてのみ送られている仮名(図における「韓愈字は」の「は」など)は,カタカナに改めた。また明らかな誤字は改め(図では筑波大本の「入」を「人」に訂正),同様の意味をもつ字句が用いられ,いずれとも決しがたい場合(図における「代」と「世」など)は併記した。・体裁より見た諸本の関係今回校訂作業を行なった12本は,送り仮名がカタカナの8本とひらがなの4本のふたつに大別できる。送り仮名がひらがなであるものは,島原A本,島原B本,東大本,狩野B本の4本であるが,これらは送り仮名以外にも,巻ーのうち「古今優劣」から「叙歴代能画人名」までの9項目が欠落しており,同系統の写本であると考えられる。送り仮名がカタカナである8本のうち,国会B本と筑波大本は,本文から欄外の書込みにいたるまでほとんどが一致すること,同じ体裁(巻ーで一冊,巻二と巻三で一冊,但し国会B本は巻ーを欠く)であることから,一方が他方を写したものか,両本がひとつの祖本から派生したものと考えてよい。また群馬大本は,巻ーの「六法三品」から「叙歴代能画人名」までの14項目と,巻三の「君台観左右帳記」および跛文を抜き書きした抄本であり,「観山水譜」のなかの字句が多少異なることなどからも,他本とは別の系統のものと考えられる。・奥書および蔵書印奥書や蔵書印により,書写・伝来などに関する事情がわかる場合があり,諸本の関係を考察するための手掛かりとなる。国会A本の奥書は「寛文三歳仲春写之/主木瀬六右衛門定秋写之也」というものである。国会A本を写した木瀬六右衛門定秋については不明であるが,ここに記される寛文三年(1663)が国会A本の書写年であるとすれば,今回校訂作業を行なった12本のうち最も早く,『後素集』成立の元和九年より四十年後,一淫の歿した翌年に書写されたということになる。芸大本には三つの奥書がある。最初の奥書は,「右後素集三巻今歳戊辰冬客処/於崎水之間挑旅窓寒燈書写而授/与石崎玄徳先生焉」というものであり,戊辰の年に長崎にて書写し,石崎玄徳に与えたという内容である。-353-
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