鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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術関係の書籍が数多く含まれている。なお狩野文庫の蔵書は4回にわたり購入•寄贈登録」(『狩野亨吉遺文集』所収)などもあり,狩野文庫には『後素集』のほかにも美されたもので,狩野A本の受け入れは大正元年,B本は昭和十八年とのことである。したがってA本ははやくに亨吉の手元を離れ,晩年の亨吉の手元にあったのはB本ということになる。筑波大本は,「文化十年癸酉五月写覚藤木禰祖五郎」の奥書から文化十年(1813)に書写されたことかわかるが,書写をした藤木禰祖五郎については不明である。蔵書印「田安府芸壷印」,「献英楼図書記」のふたつかあることから,田安家の蔵書であったことがわかる。東大本には,狩野A本と同じ蔵書印「渡部文庫珍蔵書印」が捺されており,この二本がかつて同じ人物の蔵書であったことがわかるが,前述のように東大本と狩野A本は異なる系統に属すことから,一方が他方を写したものでないことは明らかである。また東大本には,「大正拾三年九月廿H渡部信氏」という寄贈印があり,狩野A本の東北大学への寄贈が大正元年であることから,狩野A本ははやくに渡部氏の手元より離れて,狩野亨吉の所蔵となったと考えられる。東博本には「右以黒川真道蔵本写了」と記されており,「美術史編纂掛」の印がある。東京国立博物館の前身である帝室博物館の職員であり,帝室博物館の前身帝国博物館の時代から博物館において企画された日本美術史の編纂にも関わった黒川真道の所蔵本を写したものであることがわかる。「美術史編纂掛」の印があることから,東博本は博物館における日本美術史編纂事業のなかで書写された可能性が高く,書写年代としては,博物館において編纂事業が企画された明治二十四年以降,東博本を底本とした坂崎坦編『日本画談大観』が刊行された大正六年以前と考えられる。島原A本には「尚舎源忠房」「文庫」の蔵書印がある。島原B本は巻三を欠く零本であるため奥書はなく,蔵書印もない。島原A本・B本を収める松平文庫は島原藩の蔵書を収めたものである。この島原藩の蔵書は寛文九年に島原藩主に封ぜられた松平忠房(1619■1700)がその基礎を作ったもので,「尚舎源忠房」「文庫」の二印が捺されたA本が忠房の時代に収蔵されたものであるとすれば,その書写年代を国会A本の寛文三年に近い頃に置くことができるかもしれない。なお島原A本.B本は前述のように送り仮名がひらがなであり,同じ系統に分類できることからも,一方が他方を写したものであるかと想像されるが,校訂作業を通じ-355-

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