⑫ 中国仏教造像碑の調査研究[二]研究者:跡見学園女子大学非常勤講師石松日奈子はじめに「造像碑」は,立石状あるいは方柱状の石の各面に,文字や仏像を浮き彫りや線刻で表した作品のことを指し,中国では美術史用語として定着している。ただし,実際の作品の銘文中に作品自体を「造像碑」とした例は見られず,宋代以降,それらの作品をとり上げた金石文関係の文献で使われてきたものである。例えば,宋代の歌陽脩撰『集古録』には北魏の神亀三年銘「神亀造像碑」とある。同じ用法は宋代の趙明誠撰『金石録』や清代の王興撰『金石莱編』にもみられる。これらの使用例を検討すると,尊像名が明かな場合は「繹迦像碑」であるとか「弥勒像碑」といった具合に命名し,尊像名が不明な場合には単に「造像碑」と記しているようである。一方,日本では大村西崖の著書『支那美術史彫塑篇』(1915年)でこの種の造像について初めて論じられ,「碑像」「像碑」「四面像」「石浮図」などの呼称が使用されている。これらは大村が銘文内容から見出した名称で,この種の造像の多様さを的確に表している。「造像碑」という用語は日本では今日もほとんど使われておらず,「四面像」と「碑像」を使用している。しかし,筆者が本研究で調査対象としたものは文字と造像を刻んだ多様な形状の作品群であり,二種類の形状のみに限定した呼称で全ての作例を表現するのは難しい。従って本研究ではこの種の造像を総称する意味で「造像碑」を採用した。(1) 過去の研究造像碑に関する過去の研究は決して多くないが,前述した大村西崖『支那美術史彫塑篇』中に若干の考察がある。大村は「神亀の頃に至りて新たに碑像又は像碑と称するもの起こりつ。」「建義の頃よりして四面像起る」「石浮図は孝昌の頃既に有り」「四面像は蓋し碑像と石浮図とに本づきて発展し米れるものなり」「これより後碑像と四面像とは益々行われ,東魏,高斉その盛を極む」と記し(注1)'その発生については,石像の挙身光背や窟寵は碑文を刻むのに不便なので生まれた,と推定している(注2)。また,浜田耕作は京都大学所蔵の西魏大統17年銘四面像について論じる中で,「石-358 -
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