窟寺の構造より発生せる四面像」と記し,「中央に方柱ある石窟寺の構造を模して造られたる一箇の造像」とした。さらに,日本の法隆寺の橘夫人厨子も四面像と意義を同じくするもので,石窟寺の系統であり,一方玉虫厨子はこれ以外の系統で,自由建築を模して造られた,と述べている(注3)。その後は,松原三郎氏の「四面像の一考察」,および「北周四面像の一形式」と題する論考があるが,ここでも四面像と仏塔との関連について言及されている(注4)。一方,中国では王子雲氏の著書『中国離塑藝術史』第五章第三節に「造像碑及佛像離刻」と題する記述がある。王氏は,造像碑は“小型紀年碑彫刻”の一つで,寺廟や公衆の場所にたてられたと述べ,碑形や四面形式,仏塔,寵像など広範囲の造像を総称している。そして甘粛,映西,河南,安徽,山西等の地域の作例を挙げている(注5)。最近では李静傑氏が著書『石佛選粋』の中で造像碑について述べ,西晋の太康3年(282)から清の康煕3年(1664)に至るまでの作例を挙げている(注6)。ただし,氏の著書に掲載された作例には贋作も少なからず含まれており,また,銘文の誤読もある。氏が西晋太康3年銘とした像は唐の龍朔3年(664)銘の誤りであろう。筆者はかつて「中国の造像記について」と題する論考で,仏教寺院に建てられた造寺碑や,石窟造像に出現した碑形の造像記に着目し,仏教芸術と墓室文化が急速に接近する北魏五世紀末の“造像様式の中国化”の流れの中に,碑像形式の出現を位置づけた(注7)。今回の研究では,多種多様な作例を収集,整理して,地域や時代の大きな特色や傾向を探ろうと試みた。(2) 調査の概要本研究は平成7年度と9年度に鹿島美術財団の助成を受け,当該年度に作品の調査を行った。調査は,平成7年度は欧米地域と中国大陸,日本国内で実施し,9年度は中国大陸を重点的に行った。主な訪問地は,フランスのギメ東洋美術館とチェルヌスキー美術館,スイスのリートベルヒ美術館,イギリスの大英博物館とヴィクトリア&アルバート美術館(V&A美術館),アメリカのメトロポリタン美術館,ペンシルヴェニア大学博物館,ボストン美術館である。日本は,大阪市立美術館,大原美術館,根津美術館,京都大学文学部博物館,久保惣記念美術館,浜松市美術館,永青文庫,京都国立博物館,書道博物館,藤田美術館,東京芸術大学芸術資料館,大和文華館な-359-
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