過去七仏の坐像7艦を造っている。また,仏伝や維摩変なども多く見られる(例えば河南省櫃師寺里碑村・北斉雀永仙造像碑)〔図11〕。碑陰は仏寵を彫刻する場合もあるが,ふつうは銘文を刻むか,線刻や浅い浮彫で供養者像などを表す。中には側面にも小寵や線刻の供養者像などを施し,四面像との中間的な形状のものもある。石碑形の造像碑は唐代になっても河南や山西で引き続き造られた。このほか関連する形式として,北魏五世紀以降に甘粛・映西・山西で盛んに造られた石造の仏塔彫刻が注目される。これらは3つのタイプがある。① 北涼期の敦煙や酒泉地域で造像された「経塔」。相輪を持つストゥーパで,過去七仏と弥勒菩薩を表し経文を刻む個人的な造像である。② 北魏五世紀半ば頃から甘閑,挟西,山西でみられる「瓦葺き重層塔」〔図12〕。このタイプでは数個の石を高く積み上げて,頂部に屋根を載せるものが現れる(例えば山西省沿県南涅水出土造像塔)〔図13,14〕。造像の主題は繹迦の誕生や苦行,涅槃など仏伝が中心で,半珈思惟像や二仏並坐像,弥勒菩薩像,アショーカ施土因縁(定光仏と混同している場合が多い)などとの組み合わせも多い。③ 北周から隋代に北朝西部地区で流行した玉石製の「円頂単層塔」〔図15〕。これら仏塔彫刻は各面各層に造像する点で,四面形式の造像碑との類似性が強い。現在四面像とされているものの中には,実は積み上げ方式の仏塔(四面形の石材を段々に積み上げて塔身を造り,頂部に相輪や屋根を載せる)の一部と思われるものも少なくない。また,東魏・西魏頃から見られる単層宮殿形の小像〔図16〕なども四面像に通じる。この宮殿形では「四面像」や「天宮像」と銘記するものが見られる(例えば京都国立博物館蔵・北斉天保七年銘宋法明等天宮像)。白玉製や黄玉製が多く,天上の七宝宮殿をイメージしたものであろう。一方,石材に単に仏寵のみを彫刻したもの(背面や両側面にはほとんど彫刻がない場合が多い)を一般的に寵像と称している。造像碑は多くの寵像を一つの石に集合させた造形ともいえ,また,造像碑の銘文中にも「四面十二堪像」(河南博物院蔵・隋開皇2年銘呉野人等四面像)や「天宮四堪像」(日本個人蔵・西魏大統14年銘四面像)などが見え(“堪’'は“寵”),四面形式や石碑形式に関連する造像として,寵像も注意すべきである。以上のように,研究対象とすべき作品は多種多様である。そこで,本研究では四面-362-
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