注総じて石碑形式の大型像は石質も作ゆきも優れ,一方四面形式の小型像は素朴なものが多い。また,像の大小はスポンサーの資力の大小,つまり出資者の身分,財力,人数等を反映している場合が多く,供養者の身分や人数については,さらに研究する必要がある。出資者の規模としては,個人,家族,一族,地域(村など)の順に大きくなると思われるが,数十人から百人程度がふつうで,多い場合は数百人から一千人というものもある。大規模な造像集団は邑義または法義などと称され,教化僧が指導しており,供養者名には邑師(僧),維那(世話人),邑子(一般会員),齋主,開明主など,造像に関わった役割が付されている。(5) 今後の課題今回試みた形式分類では,四面形式と石碑形式を柱とし,関連するスタイルとして仏塔形式,宮殿形式,寵像形式の一部についても検討した。その結果,全体的には四面形式が山西〜映西〜甘粛の中国西部地区,石碑形式が河南と山西を含んだ東部地区で,それぞれ流行した状況が見えてきた。しかし,それぞれの起源については未だ明確にはできない。この両地域にまたがる山西の西南部に重要な鍵が隠されているようにも思われる。北魏時代の二大文化都市であった河南の洛陽,そして快西の長安は,当然この時代の造形芸術をリードしたであろう。しかし,造像碑のような大衆的,庶民的な性格の強い造像か生み出される地盤は,案外大都市を離れた場所の,素朴な環境の中にあったように思われる。もちろんその前提として石窟造像や仏塔彫刻の影響も考慮する必要があり,今後は北魏仏教の大衆化という視点からこの種の造像を研究することが求められるであろう。以上,本報告では今日までに把握した作例の概要,形式,名称,地域,材質などについて研究の成果を報告した。紙面の都合で造像や銘文の内容について詳論することができなかったが,今後発表の機会をもち,個々の作品についても紹介していきたいと考える。(1) 大村西崖『支那美術史彫塑篇』(仏書刊行会図像部,1915年)二四五頁。(2) 大村西崖『支那美術史彫塑篇』二八一頁。(3) 浜田耕作「西魏の四面像について」(『史学研究会講演集』第4冊所収,明治45-365-
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