(4) 松原三郎『増訂中国仏教彫刻史研究』(吉川弘文館,1966年)(5) 王子雲『中国離塑藝術史』(人民美術出版杜,1988年,北京)(6) 李静傑編著『石佛選粋』「関子佛教単体石造像」(中国世界語出版杜,1995年)(7) 石松日奈子「中国の造像記について」(『未央』3号,1990年)(8) 薬王山博物館所蔵の魏文朗造像碑は,これまで北魏始光元年(424)という驚異(9) 石松日奈子「龍門古陽洞初期造像における中国化の問題」(『佛教藝術』184号,(11) 四川省茂県出土の南斉永明元年(483)銘像は仏坐像と仏立像を表裏2面に造像年)松原三郎『中国仏教彫刻史論』(吉川弘文館,1995年)的に早い年記を有する作として注目されてきた。しかし,筆者は今回の研究調査で実物を詳細に観察した結果,年記部分の「光」字の判読に問題があることに気がついた。この問題については歴史的背景や作風の面からも検討し,製作時期を6憔紀初頭に下げる内容の論考を発表した。石松日奈子「快西省耀県薬王山博物館所蔵魏文朗造像碑の年代について一北魏始光元年銘の再検討ー」(『佛教藝術』240号,毎日新聞社,1998年9月)参照。毎日新聞杜,1989年)(10) 石松日奈子「中国仏教造像碑の調査研究」(『鹿島美術研究』年報第13号別冊,鹿島美術財団,1996年)参照する,数少ない南朝の現存作例である。このような両面造像は北朝でも映西に作例があり(米国シカゴ・フィールド博物館の北魏太和23年<499〉銘道教二面像),映西と四川の関係を考える上で興味深い。-366-
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