注(1) 版木については,深山孝彰氏の「戸張孤雁の版木について」を参照。〔図30■33〕視野と共通したものになっている。孤雁が「足芸」を造った大正時代には,江戸末にまでにその認識を身に付けた人々は大半が亡くなり,その認識の意義も忘れられつつあった。そのような時代に,孤雁が再び目に見えるものと在る姿の認識の違いに気付いたとすれば,それは伝統の再認識ということにならないであろうか。孤雁が何を切っ掛けに気付いたのか判らないが,他にも高村光太郎が「成瀬仁蔵胸像」の制作の中でやはり,在る姿と見える姿の間にある溝を埋めるため,認識の再現というこの不思議な物の見方に苦労している。孤雁のこのものの見え方との出会いの原点には,若い時から家業を通して見ていた浮世絵版画があるように考えられる。そしてそれに気付いた直接的な要因は,「足芸」などの軽業師の速写(図47■48〕を通してと推察される。一瞬の芸の全体を捉える訓練を積むうちに,如何に視覚的な面で現わすかでなく,如何に認識しているかを現わすという伝統的な,或いは近代的な視野への回帰が行なわれる。孤雁の軽業師素描は,題材が叙情性を誘うものであるにもかかわらず,覚めた日で描かれるのはその事に気付いていたからであろう。筆者自身,彫刻「足芸」と,多くの軽業師の素描を見なかったらこのような再評価を試みようとの考えには至らなかった。そして,今までのように孤雁を捉えるときは死と向かいあう精神面や叙情的な視点から考えようとしたであろう。孤雁が,近代彫刻史のなかで評価される理由は,この独自の視野にものの本質と未知の世界を含んでいるからであろう。共同研究愛知県美術館学芸員・深山考彰調査協力日本美術院,池田町立美術館学芸員・高岡妙子は,「日本の美術」浮世絵から複写しました。(2) 「戸張孤雁の版木について」に使用の仮題。-391-
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