鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
41/711

『方寸』の成り立ち石井柏亭,山本鼎,森田恒友の三人で始まった同人雑誌『方寸』は,文学と美術の交流を目指して,1907(明治40)年5月に創刊された。三人の名前をみただけでもそれぞれが明治末以降,大正・昭和と日本の画壇で活躍したひとたちであることが分かる。『方寸』は彼らが渡欧して留学体験をすませる前の様々なあこがれを胸に秘めて創作活動に打ち込んだ青春の日々の成果であった。三人で始められた雑誌には,その後,坂本繁二郎,倉田白羊,平福百穂,小杉未醒,織田一磨らが同人として参加した。さらに彼らに限定されず,画家と詩人の交流が深まってゆき,とくに北原白秋や木下杢太郎との出会いによって『方寸』の人々を中心とした芸術家の輪が広がりをみせ,彼らの意気投合した結果,1908(明治41)年12月に耽美派の芸術集団「パンの会」が結成されたことはよく知られるところである。羅馬字・特別漫画号の発行そうしたなかで1909(明治42)年2月に『方寸』(羅馬字・特別漫画号)が刊行されている。「パンの会」結成直後とあって,ローマ字による北原白秋や木下杢太郎の耽美派風の詩が掲載されており,その熱気が伝わってくるようである。当時,風刺漫画の雑誌の代表格であった『東京パック』(1905年創刊)でのローマ字使用例はあるのだろうか。『東京パック』を見ると創刊当時から日本語と英語を併記して掲載している。ローマ字は使用されていない。しかし英語のみの特別号も出ていない。ただ,英語を載せているということは,『東京パック』は少ないながらも英語読者を持ちえたということであろう。『東京パック』が風刺漫画の専門誌であるとしたら,『方寸』はどちらかというと生活抒情派的な漫画を描くことを得意とした。同人の森田恒友や山本鼎,坂本繁二郎などは『東京パック』に関わっていたし,石井柏亭と森田恒友は風刺雑誌『サンデー』にたずさわっていた。『方寸』(羅馬字•特別漫画号)には『東京パック』を主宰する北沢楽天の漫画も掲載されている。こうした環境から『方寸』の人々が漫画を描くことはごく自然のことであった。『方寸』の人々が『東京パック』に物足りなさを感じていたのには色々理由があろう。風刺漫画を描くだけでは十分ではない。詩人肌の同人たちは皆それぞれ本格的に詩も創作していたし,漫画といっても現代の劇画とは全く別物の,生活に密着した抒情的素描画に近いものが好んで描かれたのであった。勢-31 -

元のページ  ../index.html#41

このブックを見る