鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
413/711

■55. 4センチのもの10旋の2種に大別され,四波羅密および外四供養菩薩が大幡にあもと滋賀・兵主神社に伝来した刺繍三昧耶幡は,現在は国有で,奈良国立博物館の保管となっている。表裏三段の坪に,種子・三昧耶形・菩薩像が,多彩な色糸による刺繍で表された幡十七旋で,その図像から金剛界三十七腺のうちの三十二菩薩を表したものの一部とされる。大きさから,幡身の長さ71.6■73. 7センチのもの7脱,54.6たると解される(注2)。このはか幡頭の三角裂一枚,種子を刺繍した幡身の坪裂二枚,幡頭金具八箇,舌・手・足の一部と思われる裂の断片三箇,木箱ー合,および後世解体修理の際幡身から発見された墨書紙片九片を貼り合わせ巻子装に仕立てたもの一巻が付属している。こうした仏像を刺繍した幡は,すでに正倉院や法隆寺の飛鳥時代のものが存在する。中世においては滋賀・石道寺の幡十四旋(重文・鎌倉時代)があるが,これは種子の刺繍のみで,仏像は表されていない(注3)。本作品が基準作であるのは,付属の墨書断片九片に,「縫物師沙弥千光沙弥蓮阿沙弥成心沙弥忍性」「縫物師光行沙弥心蓮國定チクル」「藤原伊氏」「藤原能親」「清原定治」「奉行上卿前中納言正三位藤原朝臣隆長」「沙弥阿観」「沙弥時願」「紀貞近」とあり,このうちの藤原朝臣隆長について,『公卿補任』等から,前中納言三位であったのは元亨三年(1323)六月一六日,民部卿の位を去ってより,以降正中二年(1325)六月二三日出家するまでの間とし,この間に幡の発願と製作がなされたとする柴田実の指摘があってのことである。調査の詳細についてはここでは割愛し,以下刺繍部分の繍技と画風について述べることとする。第一坪の種子は,濃紺の刺し繍で表す。字縦画は四幅にわけて針を刺している。第二坪の三昧耶形は,実物が金属製のものが多いので,この部分は黄色の刺し繍,輪郭を紺の細糸で纏い繍する。このほか華覧の花は,繰・浅葱・濃萌葱・黄・薄紫・白,火焔宝珠の宝珠は標・浅葱火焙は朱・黄,索は濃萌葱の刺し繍で表される。第三坪の菩薩座像は,総体に紺・標・浅葱・濃萌葱.萌葱・金茶・薄茶・薄紫・朱などの刺し繍,輪郭が紺紫・黄・紅・白などの纏い繍で表される。より細かく見ると,宝冠は黄。天冠帯・天衣は白に紺の輪郭。髪は紺。髪際線は萌葱。肉身は白・黄・萌-403-(幡頭金具番号「五」納入)(注4)(幡頭金具番号「十三」納入)(幡頭金具番号「廿三」納入)(幡頭金具欠失幡納入)(幡頭金具欠失幡納入)

元のページ  ../index.html#413

このブックを見る