鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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注しかも四十八箇の「ア」字を配する点である。透彫意匠の光背は神護寺蔵釈迦如来像(赤釈迦)や京都国立博物館蔵虚空蔵菩薩像など院政期仏画に多くみるが(注6)'加えて種子を表すものは,同時期の繍仏に類例が見られる。また本紙部分ではないが,中廻および中廻の柱に連華唐草文を表す点,天に二十五菩薩の種子を表す点,地に連池を表す点などで,やはり繍仏の来迎図に多く見られる要素である(注7)。画風や表現については,例えば阿弥陀の頭部に文字通り螺髪を表す点が興味深い。肉身部の立体感や着衣の陰影などは,方向を微妙に変えた刺し繍によって実に巧みに表される。雲などは紫と白による文字通りの「紫雲」で,湧出する表現が実に見事である。これは絵画における「隈」よりも,立体感の表出において優れた効果を示すといえる。次に三淳の頭光や阿弥陀の蓮華座に,多彩な輩躙繍が用いられているのは,鎌倉時代前半の,皆金色身以前の来迎図や山越阿弥陀図でも見られず異例である。どちらかといえば,観音・勢至の蓮華座にみられる,浅葱・白の二色彙棚に黄で弁脈を入れた表現のほうが,奈良・興福院蔵阿弥陀聖衆来迎図(重文・十三世紀最初期)など鎌倉前半期の来迎図のそれに近い。むしろ仏画の米迎図では,蓮華座の蓮弁を彙糊とするのは古様と見なされる要素であるが,ただ来迎図を離れてみれば,寒色を中心とした本繍仏の蓮弁の配色は,大阪・護国寺蔵般若菩薩図(重文・十三世紀中期)などに近似している。以上のことからいえるのは,まず図様については繍仏特有のモチーフが見られるということであり,次に画風については,モチーフを個別に見た場合,刺繍特有の表現はさておき,それぞれは基本的には鎌倉時代の米迎図,広くは仏画の手法や画風に倣っているが,それらを総体としてみた場合,内容的・様式的に微妙な差があり,それが混在している状態にあるということである。逆に様々なモチーフや様式が混在するところに,繍仏の特質かあるといえるが,ではなぜそのようなことになるのか。現段階では,繍仏造像という行為に,より装飾性の意識が強く働いたことが想像される程度で,明確な解答は出しがたい。この問題は,なぜ画像でなく繍仏なのか,という問題にも深く関わっているように思われ,文献史料の検討等ふくめて,今後も追求していきたいと考えている。(1) 石田茂作「日本仏教と繍仏」(『繍仏』奈良国立博物館昭和39年7月10日)-407 -

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