ク』〔図2〕の紙面と『方寸』(羅馬字•特別漫画号)〔図3〕のそれとを比較すれば,い文人気質の品位ある文芸・美術雑誌が目指されることとなった。さらに,印刷局や製版所で印刷技術を身につけていた石井柏亭や木版工房に弟子入りしていた経験をもつ山本鼎が,雑誌出版史上それまでになくきめこまやかな紙面作りを心掛けた点でも,『方寸』はユニークな存在となったのである。英語を取り入れている『東京パッ図版と文字の配置や文字自体の号数にいたるまで『方寸』の方がどれだけ気を配っているかが一目瞭然であろう。『方寸』のローマ字号はもちろん英語の読者を対象として作られたわけではない。最終ページのみ日本語となっているこの号の社告を見るとかれらの考えがうかかえよう。名前は記されていないが,文章は石井柏亭が認めたという。以下引用してみる。「此琥は漫豊琥としていさ、か理想的の漫書を集めやうとしたが,それも豫期する慮に及ばざること遠きものとなったらしい。文字を悉く羅馬綴にしたのも甚突飛な試みで,或方面から恐らくは批難されるであらう。我々は元来言語學者でも何でもないから此問題に立入った議論をする必要もないが日本の文字が仮名交りの漢字にルビ附きで永久清まされるものとは決して思はない。我々は印刷美術の上から丈でも羅馬綴には賛成である。而して如何に紙面が美しくなるかを見たさに本琥丈此試みを敢てしたまでゞある。尚羅馬字の綴方は人によって幅々になつて居るが,大臆に於て簡略を旨としたのである」。ところで漫画とあるが『方寸』に収められている漫画はみな微笑ましい感情を盛り込んだ自由な素描画とも呼ぶべきものである。そしてそれも銅版やジンク版,石版や,木版さらにはそれらを掛け合わせて様々な効果を狙った版画を生み出そうと試みたのだった。この複雑な製版技術を駆使した創作版画の探求は『方寸』の特徴のひとつである。そしてその挿絵のほとんどは1ページの紙面に一枚大きく載せようとする挿絵優先のレイアウトでなされており,とても見やすくなっている。ローマ字にしても普段掲載されている美術展覧会評や評論,時評の類いは避けられ,北原隆吉(白秋)や木下杢太郎,さらに石井満吉(柏亭)などのローマ字の詩がほとんどを占め,ほかに山本鼎の小文が載せられているに過ぎない。杜告を除いて全文ローマ字にするに当たって,「印刷美術の上から」彼らがいかに詩のほうがほかの文章よりも紙面で美しく映え,印刷に適しているかと思っていたかが,分かるであろう。アルファベットであれば,詩であろうが,長文であろうが変わりがないはずだが,改行の繰り返しや四-32 -
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