⑮ 「戦争記録画」に関する三つのリストー~対照表および解題—研究者:日本学術振興会特別研究員河田明久本報告では三種類の作品リストの比較検討をおこなう。これらはすべて十五年戦争下のわが国で描かれた戦争画にまつわるもので,結論から言えば,その対象とする作品群はほぼ重なり合っている。一つめは画家・山田新一の手になるメモ(以下「山田リスト」と呼ぶ)で,晩年の山田と懇意であった青木脩氏(青木画廊;宮崎市)が画家本人より託され保存してこられたもの。青木氏の手元にある資料は,敗戦時に京城(現ソウル)の軍報道部美術班長であった山田が,まず同地で戦争画群の保存に尽力したのち内地へ帰還,その後を記す複数の手稿類と,そうした一連の活動の終了期に収集作品の一覧表として作成されたとおぼしき「山田リスト」,の二つに大別される。報告者はこれらの資料の存在を田中日佐夫氏のご教示によって知った。二つめは1966年の冬から67年の春にかけてアメリカ国内に保管されていた接収戦争画群を取材,撮影したカメラマン・中川市郎氏による作品リスト(「以下「中川リスト」と呼ぶ)で,複数の資料から成る。敗戦直後,山田らの手によって集められた多くの十五年戦争画は1951年にGHQを通じてアメリカ合衆国に送致,米軍関係施設に分散保管された後1970年に返還(永久貸与)されて現在は東京国立近代美術館に収蔵されている。中川氏は前述の期間に前後二回,初回は自らの発意により,二度目はテレビ局TBSの終戦記念日特別番組に向けた取材として米国保管中の戦争画群の撮影を行っている。一回目の撮影対象は,オハイオ州ライトパターソン空軍基地内の米空軍博物館が保管する空軍管理下の作品群,二回目のそれはヴァージニア州リッチモンドの米国防省特別軍需物資倉庫にある一おそらくは一陸•海軍管理下の作品群であった。ただし,今回主として用いる最も包括的なリストは中川氏自身の手になるものではなく,中川氏が提供した資料をもとにTBSの側で作成されたリストである。元になったとおぼしき中川氏作成の英文リストニ通ー米空軍博物館管理下の作品リストと,中川氏作成の撮影作品リストーを上記TBSリストとつき合わせてみると,件のGHQの委嘱を受けあらためて国内外に散在する戦争画群の収集にあたったいきさつTBSリストには,元になった英文リスト以上の内容が盛られていることがわかる。-410-
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