か,それとも別系統で集められたのか。山田リスト「以後•以外」の接収,つまり140 •••••••••• 神兵メナドに降る149 田中佐一郎【中川リスト】301182 * * * -* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 「中川リスト」にある宮本三郎《パレンバン空の神兵》はおそらく作者名か作品名か,あるいはその両方の誤記だろう。この絵は「山田リスト」140番作者不詳の《神兵メナドに降る》と同じもので,「東近美リスト」の中山説《神兵奮戦の図(落下傘部隊パレンバン精油所攻撃)》にあたるのではないかとも考えられるが,これはあくまでも推測に過ぎない。また,中川氏自筆の撮影作品英文リストにあげられた中で唯-「中川リスト」に記載のない三輪晃勢《ツラギ夜襲戦》が「中川リスト」の301182番にあたると考えれば,こちらは六桁番号の位置の上でもまことに無理がない。なお「東近美リスト」未同定作品のうち少なくとも3点については,作者・作品名とも空欄の「山田リスト」17,24, 25番にその席があるはずだが,山田らの作業経緯から見てここにあてはまるのはいずれも作戦記録画ないしはそれに準じる性格の作品だろだが,それらを差し引いてもなお「山田リスト」と「東近美リスト」には互いに同定し切れない数点の剰余が残る。それらは「山田リスト」の作成後に接収されたの「山田リスト」には含まれていない接収作品の存在について云々しだせば,じっさいの接収作品数と返還作品数の差は,「山田」「東近美」両リストの未同定作品数どうしの差以上に開く可能性かある。ひいては接収作品のすべてが返還されたとするこれまでの議論の前提そのものにも地滑りが生じる。接収された作品の総数について「東京国立近代美術館年報昭和44年度」(1971年2月)には,「新聞等の報道によると,151点ともいい,或いは154点,155点さらには158点ともいって一定しない。恐らく1点で幾つかのピースからなるものがあり,数え方の違いから出てきたものであろう」と記されている。ところで,これまで見てきたとおり如上の数字には根拠がある。151点は「山田リスト」の総数,154,155点は「中川リスト」の六桁番号^から割り出される作品の総数で,158点は中川市郎氏が証言するところの米国防総省管理下にあった日本の戦争画の総数に符合する(中川市郎•••••• 291-53 宮本三郎つ。西南支那より仏印転進-419-パレンバン空の神兵
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