鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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行の固まりの幾つかの繋がりなど文字の配置の妙が,視覚的な美しさを作り上げてくれるのだと石井柏亭らは考えていたのだと思う。『方寸』の実験のひとつとしてのローマ字ところで『方寸』の同人たちがみな西洋に留学する経験を得る前に,この雑誌にかかわっていることに注目したい。文学や美術かぶれの若者たちの青春時代のあこがれの心がいっぱいつまった青春時代の置き土産的な産物としての『方寸』は,洋画家や日本画家それに,文学者や美術家といった専門意識がはっきりしないまま作り上げられたところに,その初々しい魅力があり,様々な美術の傾向が見られ,美術と文学の交流がなされたのであった。しかし,逆に意地悪な見方をすると,ときに目的意識が徹底されず稀薄になってしまうと,往々にして折衷主義の落とし穴が口を開いて待ち受けているといった状況を導き出すのであった。ローマ字の導入自体はハイカラな感じがするし,図版のレイアウトなどもとても気配りのゆき届いた完成度の高いものと思われる。また,そこに挟み込まれた挿絵なり,ロ絵は独立してみるととてもユニークなものだけれど,はたしてローマ字と掲載された挿絵がしっくりなじんでいるかどうかとなると,多少疑問が残る。ただ,日本の情景を描いた漫画とローマ字が違和感を抱かせるというだけの理由ではないようだ。『方寸』の人々は「パンの会」の文学者である北原白秋や木下杢太郎らとの交流で多分に耽美派的な気分を共有することがあったが,全く官能的な雰囲気に包まれた絵画を描いていたわけではないことは,この雑誌を見れば明らかだ。どちらかというと先に述べた生活抒情派の人々ゆえに,描かれたものは皆,自分たちの周囲に起こる微笑ましい情景を優しいまなざしでとらえらたものばかりである。この性向には,同人の石井柏亭や平福百穂などが日常の生活風景を写実的に描こうとした日本画のグループ「土蒻ど」のメンバーであったことがかなり影響しているように思われる。そのハイカラな感じのローマ字と庶民の生活感情が生き生きととらえられた挿絵とのミスマッチとも思える掛け合わせが,それまでに見たこともない文と画の混交を生み出したといえよう。しかし,そういうことが見受けられようと,積極的にローマ字を使用することで当時の普通の文芸雑誌にはない新味が出ていることには違いない。-33 -

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