「戦争画雑録」『太平洋戦争名画集』ノーベル書房1967年12月)。これらの僅差をはたして前掲「東京国立近代美術館年報昭和44年度」がいうような組作品の数え方の相違のみに解消してしまえるか否か。単に数値だけをとればその考え方も不可能ではない。だがそれは内容が完全に一致していた場合の仮定であって,現にそれぞれの数値の根拠になった一と思われる一リスト同士に内容の不一致が見られる以上,上記の「さまざまな総数」の,その対象とする作品内容が微妙に異なっていた可能性もあるのではないか。もちろん,仮に返還からこぼれた作品があったとして,それはわずかだろうし意図的なものとも考え難い。だが,たとえば「山田リスト」149番:の田中佐一郎《西南支那より仏印転進》が,1941年の第二回聖戦美術展に出品された作戦記録画《転進(南支龍州公路北江郷附近)》であったとするならば,都美術館で焼かれたのでもないかぎり,アメリカで見失われたと考える方がむしろ理にはかなっている。これは一例にすぎないが,それでもいくつかの作品が返還からもれてアメリカに現存する可能性を示唆してはいないだろうか。いずれにせよ,今後はアメリカでの調査が必要となる。未返還作品(?)のその後もさることながら,接収作品のそれ以前を知るためにも,まずは「中川リスト」の情報源となった米国防総省の六桁の整理番号をその原簿にあたって確かめることだろう。接収という行為の,その背後をさぐるためのひとつの足がかりとして,接収の全体像を視野に収めるデータ,たとえば接収作品すべての作者・作品名やその日本国内における最終所在等が得られればよいと考えている。-420-
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