強さを強調するのに効果的である。視点を謄の位置に高く取れば,上半身が大きく,短足に造る巨大像独特の造形表現が目につき,両腕の異様な違いもすぐに気づくことなのだが,このような腕の動きや構えは像を据えて,腕を取り付け,いよいよ下から見上げた時になって初めて可能な修正ではなかろうか。<阿叶共通の修正〉① 眉・上瞼に小材を補足し,瞳を下向きにし(H牛形が明確である),視線を下げた。② 謄を下げ,腰裳の上縁を正面のみ彫り直し,ずり下げた。阿形では謄をさらに右へずらした。これを補足すると,視線を下に向け,謄の位置を下げる修正は両像とも軌を一にしたものであり,全く同じ意図のもとに変更されたといえる。これは阿呼両方に目配りできる頭領がいたからこそ指示できたと考えるべき修正であろう。それは大仏師の存在の重さを暗示するところであり,その影響力の程度を推し量るのに十分である。これを要するに,巨大像であるからこそ臨機応変に計画変更がなされるのであり,それが頭領の大事な指導の一つではなかろうか。なお阿形は謄を下げただけではなく,さらに右へ移動させているが,これは先に述べたように(阿形①②),身体を斜め右に振ったため,正面観の位置がずれたので謄をさらに右に移したと考えられる。以上に述べた造形上の修正について『東大寺南大門国宝木造金剛力士立像修理報告書』(注1)では特に次のように記す(第一章ー4沿革松島健氏担当)。「いずれにせよ,造立の施主である重源上人の指示によるものであろうが,今同の解体修理で確認された両像の視線の下方への修正や,同じく腰裳や謄位置の下方への彫り直し等は,巨像制作における必然的な修正と見る考えと,相対する安置形式が当初からの計画ではなく,通常の両像南面からの変更に伴う所為とする説もある。」すなわち,修正の理由について解釈の相違があることを示唆するのである。この二説併記のうち,後者の見解(安置形式の変更による修正)は『南都仏教』誌上に中間的な修理報告という立場で発表された松島氏独自の見解である(注2)。初めは呼形の修理報告の注記で触れられ,次の阿形修理の報告でもその見解は変わらず,松島氏は「外的な要因」によって造形上の修正を説明する。「このような阿叶両5 修正理由一松島説の反論として一-432-
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