像に共通する大幅な修整は,南大門に通例の如く南面に安置することを前提に製作を進めながら,その中途において門中央に向かい相対する安置形式へと計画変更が行われたためではないか」と述べる(注3)。前者(巨像制作における必然的な修正)の見解は特に機会を設けて修理関係者間で討議したわけではないが,おおよその共通認識は第4節で筆者が整理した内容になろう。そこで触れているように,特に阿形では安置の間に据える時の調整が,肉付けの修正に大きな影響を与えていることは注意しなければならない(注6)。公式報告書刊行後に普及啓発として『仁王像大修理』(朝日新聞社平成9年4月)か出版され,修理関係者6人が執箪したが,その中で松島氏はさらに自説を展開している。「南大門北面に安置すべき獅子の造立が取りやめとなり,門北の間に生じた大きな空間はいかにも不自然で,そのため仁王像を急濾向かい合わせに配置することにしたのではないか」とし,「当初は参道のかなりの距離から拝されることを前提としてそのプロポーションや視線方向を決められた仁王両像は,門の中央三間というきわめて至近距離から仰ぎ見られることになり,前記したような大幅な修整を余儀なくされたのであろう」と述べる(注7)。これに対し,同じ『仁王像大修理』の中で西川新次氏が松島氏の問題提起に配慮しながら,前者(巨像制作における必然的な修正)の立場に立って次のように述べる(注4)。「このような変更がなぜ行われたかについてはさまざまな見方が考えられるものの,結果的には両像を現状のように安置し,その中間に立ってそれぞれを正面から仰ぎみる視点に合わせての修正であったとみられる」とし,n牛形像の右腕の角度や長さの修正,謄の位置を思いきって下げ,さらに下向きにしたことなどは,腕の改変と同様,像を立ててみた上での大胆な修正であったとする。つまり,第2節で紹介したように,仁王像の設計段階での安置形式の変更を想定するのは困難であり,造形上の修正理由を外的要因に求めようとする見解の問題点を明らかにしたのである。6 雛形の問題一金峯山寺仁王像との関連で巨大な仏像を造る時には雛形の果たす役割・効果が留意されるのはいうまでもない。鎌倉復興期の東大寺の巨大木彫は十鉢を数えたが,大仏殿四天王では縮尺十分のーの本様(雛形)が造られた(『明月記』(建久7年6月13日条四丈の四天王に対し四尺の本様)。このような雛形は巨像製作には付き物であり,必ず造るべきものであ-433-
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