(1) 興福寺南円堂広目天像との類似(2) 南円堂四天王は北円堂伝来かのであった(u牛形では15センチ)。この修正は明らかに重心を下げる意図のもとに小仏師たちが整を振るったのであり,下からの見上げによって初めて生まれる行為というべきものである。修正以前の姿からすれば,南大門仁王像の雛形もまた腹部中央に謄が刻まれたことは間違いない。要するに巨像の場合,実際に立ちあげた時に修正行為が始まるのであり,それは巨像制作のマニュアルのひとつであって,そこに頭領たる大仏師の存在意義が明確になるのである。仁王像は修理以前も以後も,これまでの彫刻史上の位置付けが変わるわけではなく,冒頭に述べたように頭領が運慶で,彼の指揮下に担当仏師が分担制作したと理解すべきである。0牛形は運慶,阿形は快慶の作風を表すという見解は変わらぬ様式観であろう。その場合,頭領の個性が阿叶の二謳にいきわたらず,阿形像が快慶作にあくまでも近く,頭領以外の個性が分担制作中に表れているのが問題なのである。一方,叶形像に運慶風をイメージすることも従来通りであり,田辺三郎助氏が丸尾彰三郎氏の『大仏師運慶』から「時代の剛健な気風がその作品に撥剌と顕現して居るのを覚える」という一節を引かれるように(注8)'特に呼形像に感銘する者は「一種のく精神の昂揚〉を触発された」体験を持つという見解に筆者も同感である。さて筆者として端的に言えば,叶形の顔つきに最も似ているのは興福寺南円堂四天王のうちの広目天像ではないかと思う。細かな様式比較をいま行う余裕がないが,頬骨が出て小鼻が膨らむ骨格,眉・上瞼の強いうねり,鋭い視線,口をへしめて,人中が短く詰まるまでに力の入った唇,力んだ顎の肉どりなど,ともに造形感情が共通するように思われるのである。その感覚は叶形が先にあって,次に現広目天像に続くような流れが感じられ,n牛形の方に初発性が強く表れているといえようか。ただし,n牛形の眉間に緞を寄せる表現は現南円堂増長天の形式に近く,阿形の方が南円堂広目天の筋肉表現の形式を踏襲するのは面白い。この四天王像は最近の研究によって興福寺南円堂本尊・国宝不空絹索観音像と本来一具ではなく,現中金堂の四天玉の方が南円堂伝来の鎌倉初期像であることが明らかにされた(注9)。現中金堂の四天王像こそ,大仏師康慶工房の作と見るのが定説と7 呼形の表現-435-
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