鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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(10) 伊東史朗「興福寺曼荼羅と現存仏像」(『京都国立博物館蔵興福寺曼荼羅』京都国立博物館平成7年3月)告「四天王立像(南円堂)」では多聞天の肉身の色を肌色とするが,現状白色または黒色を呈し,複雑な様相をみせる。実査では右耳孔個所に灰白色地に青色が残存するので,当初か後補かは別にして肉身は青黒と判断する。「新補遺」の解説注記(松島健執筆)。補足すれば,柄孔は右足分であり,柄孔右側面を新しく削り,字頭を下にして向かって左から右に「東一」と横書される。(13) 現南円堂四天王像は根幹部はカツラ材の寄木造であり,一部にヒノキの薄板を貼り付け,二材を併用する。北円堂の弥勒如米・無著・世親菩薩像の諸像もまた同じカツラ材を御衣木とする。このカッラ材の使用は現南円堂四天玉像の北円堂伝来の可能性を高める資料であろう。仏像の料材としてのカツラ材は奈良地方では平安末鎌倉初期の奈良仏師の用材選定の特色であったことも予想される(天理・長岳寺二天立像,五條・草谷寺薬師如来立像など)。なお現南円堂像は邪鬼の上に立たず,足下は岩座であり(台木の周縁に自然木を置く),本来邪鬼の上に立つものでなかったかといわれるが,京博本興福寺曼荼羅の北円堂四天王像を見ると,増長天のみ岩座,他は邪鬼が描かれており,この混乱の説明は速断しがたい。(14) これについては伊東史朗氏も既に指摘する。(注10)前掲。(付記)掲載写真は帥美術院撮影。(9)藤岡穣「興福寺南円堂四天王像と中金堂四天王像について」(『国華』1137,1138号平成2年8,9月)(11)『奈良六大寺大観第8巻興福寺二』(岩波書店第1刷昭和45年12月)の報(12)『奈良六大寺大観第14巻西大寺』(岩波書店第3刷平成4年3月)所収-438-

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