2・パルミジャニーノとアプレイウス『黄金のロバ』ところで先に見たボイアルドのキュルケ=オデュセウスの小物語は『恋するオルランド』という大筋の物語の中で登場人物が眺める美術作品として登場する。このことは前にも述べたが,我々にとって興味深いのはその無名の美術家への讃美の仕方である。《(前略)この師匠の出来る仕事には/自然も負けてしまうだろう(後略)》(注11)。物語の中で記述される美術作品が「自然に勝る」と讃美された例は決してポイアルドの独創ではない。ルキウス・アプレイウス『黄金のロバ』はその手本の第一候補だと筆者は考える。アプレイウスの同書は有名なボッカッチョが所有していた手稿写本のようにほとんど常に人気の書物であり,筆者の知る限りではジョヴァンニ・アンドレアの編集版が1469年の初版である(注12)。そこでは主人公が見るディアナとその二匹の犬,そしてアクタイオンの大理石彫像の見事さに関して,「術は自然の好敵手となる」と評されているのである(注13)。ボイアルド自身それをイタリア語訳している点は興味深く,文学的技法の参照例となりえたはずである。なお筆者によればボイアルドの訳はかなり意訳的で,残念なことにかの「自然に勝つ術」の個所は省略されてしまっている(注14)。パルミジャニーノが奇妙な素描を描いていて〔図3〕,これは大体ボローニャ期からその後のパルマ時代にかけて描かれたと見なされるが,一人の女が裸で座って,小さな彫像を板ないしカンバスに写生している。そしてその像が乗る台に,まさしく《術は自然の好敵手となる(NATURAEARS AEMURA)》と書き込まれているのである(注15)。ボイアルドのイタリア語訳にない個所であるとすれば,我々はキュルケ素描の場合と似て,ここでも16世紀の「書き直し」文化の一端を参照することによってパルミジャニーノの素描の生成に関してある仮説を立てることが出来る。『黄金のロバ』への今なお価値ある注釈として名高いボローニャの人文主義者大フィリッポ・ベロアルドの注釈書では,この「術は自然の好敵手となる」という言葉に大きな紙幅が割かれ,あまつさえボローニャ出身の大画家フランチェスコ・フランチァの聖母子画がその実例として出されているのである(注16)。制作年代の点から見てもパルミジャニーノはボローニャの地で,アプレイウスに由来するこのトポスに接触したのである。この素描は造型芸術の寓意として物語の文脈は感じられない。詳細はまったく不明-445-
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