注は1525年ころ既にローマで始められていたと考えられるが,未完のまま彼の死後までbolism and Allegorical Inteゅretationin the Renaissance, (The Johns Hopkins University Press : Baltimore-London), 1970, pp. 87-102. Leonard Barkan, The Gods Made Flesh. Metamoゅhosisand the Pursuit of Paganism, (Yale Univ. Press: New Haven-London), 1986.また16世紀イタリアのキュルケ図だが,何者かかなり古典に精通した人物がこの素描の制作に一役買ったと考えるのが自然ではないか。そしてその人物およびパルミジャニーノは何らかの形でベロアルドの注釈本をも一瞥したのではないか。この部分の調査は今なお進行中だが,なお指摘しておくべきことは,クレメンス7世宮廷で活躍し,もちろんベルニとも知り合いだったもう一人の俗語派にして「女性讃美の詩人」アニョロ・フィレンツォーラが,『黄金のロバ』をボイアルドをも参照しながらさらにこなれた翻訳を行なっていたという事実である。これは登場人物の名前や舞台をトスカナに変更した「書き直し」的要素をも含むもので,後に異色の文箪家ドーニに賞賛されもした(注17)。この仕事残され出版されるのは1550年である(注18)。これまでフィレンツォーラの女性論とパルミジャニーノの女性像との平行関係について指摘されているが,我々はここにさらに,アプレイウスのごとき古典の受容の仕方にも平行関係を認めることができると主張できる。パルミジャニーノの周辺にいたフィレンツォーラによる《術は自然に嫉妬される》という意訳では,自然と術:の関係が半ば逆転しつつあるのである(注19)。この思想は自然模写から内的な美術:家自身のヴィジョンヘ沈潜していったと一般化されるパルミジャニーノ芸術および16世紀初期マニエリズモ美術の核心をマニフェストしている。今後も調査を続けるつもりであるが,興味深い歴史的問題の少なくとも存在のみは確認しえたことを報告して終えたいと思う。(1) 紙幅の都合上包括的な文献指示は筆者による進行中かつ来たるべき完全な報告に譲るが,なお中世からルネサンスにかけて変動するホメロスやオウィディウスの「転身諏」の寓意的解釈の歴史へのガイドとして以下は必須アイテムだと思われる。DonCameron Allen, Mysteriously Meant. The Rediscovery of Pagan Sym-像については以下が壁画という限定のもと部分的に扱っている。MarcoLo---446-
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