鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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(2) 筆法および着色方法について熊斐作品の内,着色画中の鳥獣の描法については,沈鐙の「妍麗」と評されていた描法に近似している。しかし熊斐について『近世逸人画史』には,「箪力強勁,虎墨竹宜し。又花丼餅毛を能くす」と南禎流の花鳥の妍麗さよりもまず,筆力が指摘され,『長崎画人伝』にも「尤長墨画」とあり,水墨の虎,蟹が熊斐の作品として多数伝世している。『蘭斎画譜』によれば,熊斐は,沈鈴に菊の運筆から学んだという。熊斐が,筆法に重きをおいている点は,沈姪から約9カ月間という短期間に筆法の基礎を中心に学んだことが,その理由にあるとも考えられている。また『後素漫筆』には,熊斐は線描については沈鐙から直接学んだが,胡粉の使用方法とその製法については,沈鈴帰国後,唐商を介して学んだという。熊斐はこうした状況のなか必然的に,墨線中心の作風になったのであろうか。そこでまず,墨線を強調した作例を検討してみる。水辺の鵜を描いた作品は,徳川美術館本をはじめ,箱書きに松浦侯旧蔵と記された《柳下鵜図》対幅,東京国立博物館本,長崎市立博物館本の4点があり,描法も,謹直に描かれる徳川美術館本から,水墨風の鵜と簡略に描いた水波を組み合わせた長崎市立博物館本まで幅広く,熊斐得意の画題であることがわかる〔図5〕。いずれも鵜の羽を濃墨で描き,腹部には滲みを付け,目や嘴,水掻きなどに群青そして金泥をアクセントとして付す。景は,簡略に描いた土坂や柳樹と,大胆な水波で構成されている。妍麗と評される南蹟派の作品群の中では,彩色を抑え,墨の光沢に主眼をおいた画題である。現在,沈鈴の伝称をもつ作品の中には鵜を描いたものはない。しかし沈姪来日時の作品百幅の目録とされる『沈南蹟画図百幅』(元文4年以前成立,長崎県立長崎図書館蔵)には「鵬蔦取魚図」がみいだせる。この画題は「傷鶴十幅」,「小景十幅」など全六項目に分類される内の「兼工帯写画三十幅(真草交り絵)」に分類されている(注4)〔表1〕。また,徳川美術館蔵の《花烏図屏風》の全12図のなかにも,若干彩色を抑え,烏獣の毛描きも簡略に行われたく白梅夙々鳥図〉〈雪瓶群鴨図〉<柳臥々鳥図〉<雪芭蕉兎図〉がある。これらの図も,『沈南戟画図百幅』に記される画題および和解と照らし合わせると,<雪芭蕉兎図〉以外「兼工帯写画」の項に分類される画題に近似する。-453-

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