鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
47/711

13巻211ページ)でも採録されている。詩集『邪宗門』ではこの図案は石井柏亭のもび付きにより見事な結晶となったと判断することも可能であるが,北原白秋のロマンティシズムと石井柏亭らの写実性へのこだわりは,危ない綱渡りのような友情関係が裏に潜んでいたように思われる。北原白秋の最新の全集(岩波書店刊行)に掲載された創作ノートを見ると,詩集『邪宗門』のなかで石井柏亭作とされていた挿画の多くは,かなり白秋のアイデアによって生み出され,さらに,詩人の指示が強く打ち出されていた可能性を認めることができる。力関係で考えると,装禎や挿画を手掛ける石井柏亭が白秋のいいなりになる自分に嫌気をさしてもおかしくない状況であったはずだ。一例をあげれば『邪宗門』の最初の挿絵となる亀を正面からとらえたエクス・リブリスの体裁をとった作品は,その後,北原白秋の『思ひ出』の創作ノート(全集第のになり,山本鼎が木口木版で彫版したとされているが,そのアイデアは,もともと北原白秋自身のものであった可能性が高い。もう一点石井柏亭の作とされている挿絵「幼児傑殺」も白秋の創作ノート(全集第13巻114ページ)に下絵が認められる。北原白秋の詩集『邪宗門』には,明らかに,一方でイメージとして日常的な生活感情を大切にした石井柏亭や山本鼎の挿画があり,もう他方では,表向き石井柏亭の作としながら実は北原白秋のアイデアによるロマンティックなイメージの挿絵が見いだされるのである。木下杢太郎の女の首をくわえた竜の挿絵もどちらかというと後者に属するであろう。北原白秋は『邪宗門』制作時から自分の詩集の装禎や挿画のイメージは強くもっていたことであろう。その後,どのような会話が石井柏亭や木下杢太郎らと交わされたか,判断がつかないが,続く詩集『思ひ出』や歌集『桐の花』では北原白秋自身によるユニークな装禎・挿画がなされている。白秋は,挿絵にかなりこだわりを見せており,挿画と区別していわゆるカットを欄画と呼んだ。詩集『東京景物詩及其他』では装禎こそ白秋自身の手によるが,挿画,欄画の類いは自身では行わず,木下杢太郎の挿画「初夏の遊楽」一点のみを添えている。詩集『思ひ出』によって北原白秋は,一躍詩人としてその名を世間に知られるようになったが,と同時に人妻松下俊子との恋愛事件によって1912年は彼にとって人生で最も激動の時代であったといえる。こうした時期を挟んで詩集『思ひ出』の装禎・挿画は,白秋自身による初めての一人ですべて執り行なった試みであり,その成果が最も見事に結実したのが歌集『桐の花』と見ることができる。『思ひ出』では挿絵3点,欄画4点,写真版2点が掲載された。量-37 -

元のページ  ../index.html#47

このブックを見る