鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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だけの問題ではないが,『桐の花』では扉絵と称する挿絵が14点,欄画が20点添えられている。歌集表紙カヴァーにはKIRI・NO・ HANA.とローマ字で記されている。ここにもローマ字に対する嗜好が見受けられる。しかし,ただ,それだけではなく,『桐の花』の挿画や欄画のユニークな表現方法を獲得するに至ったのも,『方寸』の人たちとの交友があったからこそのことと思われる。印刷技術やレイアウト,さらに製本にいたるまで,石井柏亭や山本鼎らから色々とアドヴァイスを受け,彼の本作りのセンスが磨かれていったと推測するのはそれ程無理なこととは思われない。そして,その結果,『方寸』の人々の思いもつかなかったしゃれた本作りを北原白秋がやり遂げたことも認めなくてはならないであろう。伝統的な短歌の形式に新しい西洋的な精神を吹き込んだと評価される『桐の花』ではあるが,挿画の世界でもそれまでに見られなかった,あえていうならいたずら書きがもつ自由なデッサンの雰囲気をうまく歌集全体に漂わせた点に,『桐の花』の挿絵の新鮮味が見いだされるのである。その自由で気ままなデッサンは,北原白秋が知っていたのかどうかは定かではないか,ボードレールやランボーが描き残したデッサンに通じる類いのものである。北原白秋は天性の詩人であったが,青春時代に文学と美術の交流を実践した「パンの会」での活動あっての装禎・挿絵の仕事がなされたことも今まで以上に評価すべきである。また,今後,北原白秋の詩歌と視覚的イメージの相関関係を明らかにすることで,さらに深く北原白秋の芸術を理解することが可能となろう。*この報告は神奈川県立近代美術館で開催された『モボ・モガ1910-1935』展味」を大幅に加筆・修正し,さらに「北原白秋の初期詩歌集の装禎・挿絵」の章を付け加えたものである。(1998年5月17日6月28日)図録所収の「<方寸〉(羅馬字・特別漫画号)の新-38 -

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