注(2) 「中国文物報」第46期,1995年11月26日(3) 南京博物院「1991年徐州考古調査簡報」『東南文化』1997-4, 31■36頁,王憬・1987-1),また図8の儀佼桶と近い形式のものが河北磁県東陳村北斉尭峻墓から(5) 国家文物局主編『中国文物精華大辞典・陶磁巻』116頁,上海辞書出版社,1995(6) この形式の武人桶は,河南省洛陽市元部墓(528)などから出土している(洛陽205頁,江蘇美術出版杜,1996年)。域に広がる文化圏とは一線を画している。以上述べてきたように,中国南北朝時代,北朝とも南朝とも異なる美術作品を作りだした(独自の地方様式及び形式を備えた)地域がいくつも存在し,しかもそのひとつひとつが独自の,大文化センターとの交流方法を確立していたことが知られた。今後も大文化センターとの交流及び独自性の保持という観点から,北朝とも南朝とも異なる美術作品を作りだした小文化センターの研究に取り組んでいきたいと思う。(1) 八木春生,小澤正人「中国漢・南北朝時代の小文化センターについて一漢中・安康地区を中心に一」『平成7年度鹿島美術研究』(年報第13号別冊),100■121頁,財団法人鹿島美術財団,1996年邸永生「徐州市兵馬桶博物館北朝和唐代墓群」『中国考古学年鑑1987』,147■148頁,文物出版社,1988年(4) 例えば図6と類似する武人桶は安陽北斉和紹隆夫婦合葬墓から出土し(河南省文物研究所・安陽県文管会「安陽北斉和紹隆夫婦合葬墓清理簡報」『中原文物』出土している(磁県文化館「河北磁県東陳村北斉尭峻墓」『文物』1984-4)。さらに,おそらくこの第3グループの陶桶とともに出土したと思われる図14にあげた鎮墓獣と,この東陳村北斉尭峻墓から出士した鎮墓獣〔図15〕とが,非常に類似していることも興味深い。年,曹者社,孫乗根主編『中国古代1甫』231■232頁,上海文化出版杜1996年博物館「洛陽北魏元部墓」『考古』1973-4) (7) 図4のように,ズボンのような胡服を着けた陶桶も,東晋時代にはいくつか存在することが知られている(江蘇省南京象山東晋墓出土の陶桶など。『六朝芸術』(8) この下半身に彫られた浅い溝は,男桶に多く見られるようで,おそらく裳の合わ-472 -
元のページ ../index.html#482