—本間莞彩と北海道画壇を中心に一一⑩ 近代日本画にみるアイヌ風俗画研究者:北海道立近代美術館学芸員土岐美由紀18世紀後半から明治初期にかけて,蝦夷地(明治2年に北海道と改称)ではアイヌ風俗画が盛んに描かれた。それらは,アイヌが自らの姿を描かなかったため,蝦夷地に在住あるいは旅行したアイヌ以外の日本人,すなわち和人によるものである。現段階では,優れたアイヌ風俗画の絵師として,小玉貞良や雪好,平沢屏山らが知られている。彼らの課題は,第一に未知なるアイヌ風俗を観察し,他者に伝えることであり,第二に,先例の少ないなか,自らがとらえたアイヌの人物像をどのように表現するかという点であったろう。結果として,優れた絵師達はそれぞれ独自の人物表現を創出しており,それがこの期のアイヌ風俗画の魅力といえる。しかし一方で,アイヌをとらえる絵師の視座には共通する性格もうかがえる。それは,当時,蝦夷地のアイヌ風俗が,幕府や諸藩をはじめ,一般人の強い関心をも集めており,その好奇心に応えるかたちで,多くの絵画に描かれたという事情に根差している。和人が和人を描く近世風俗画においては,絵師が自らの生きる日常を感情を込めて濃やかに見つめ,抒情性や主観性の強い絵画世界を生み出しているのに対し,アイヌ風俗画にはそうした要素がほとんど看取されない。むしろ,絵師自身が描く対象との距離を大きくとることによって,特徴的で印象深いアイヌ像を創り出そうとしている。換言すれば,アイヌを他者として見つめ,アイヌと隔てられた享受者を強く意識したところに,その表現は根差している。多くの模写を含めたアイヌ風俗画の中には,対象への肉迫よりも,享受者の好奇心に応えようとする制作者の姿勢が,偏見を帯びた誇張的表現を生んだ例も少なくない。このように杜会的背景を色濃く映して成立したアイヌ風俗画という特異なジャンルが,近代社会においてどのように展開したかということは,北海道美術の特質あるいは美術の社会性という側面からも極めて興味深い。ここでは,大正後期から北海道画壇に登場し,昭和期に北海道日本画壇の牽引者として活動した本間莞彩のケースにより,近代日本画におけるアイヌ風俗画の一断面を考察した。なお,本研究は近代日本画におけるアイヌ風俗画の展開と特質を探る研究の一環として構想したもので,本稿は今後の広範な資料収集と研究を前提に,その補訂の可能性を含めての疎略な報告と-480-
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